| 古泉千樫 こいずみ ちかし | |
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| ファイル:古泉千樫.jpg | |
| 本名 | 古泉幾太郎 |
| 誕生日 | 1886年9月26日 |
| 死亡日 | 1927年8月11日 |
| 死亡年齢 | 40歳 |
| 出身地 | 千葉県安房郡(鴨川市) |
| 国籍 | 日本 |
| 職業 | 歌人 |
| 活動期間 | 1904年 - 1927年 |
| 代表的な実績 | 歌集『川のほとり』『屋上の土』『青牛集』 |
| 関連活動 | 歌誌『日光』創刊同人 |
概要[編集]
古泉千樫(こいずみ ちかし、1886-1927)は、初期アララギを支え、のちに反アララギの歌誌『日光』へ移った歌人。本名は幾太郎。斎藤茂吉とは生涯の親友で、二人で雑誌の発行実務を担った時期もある。平淡(へいたん)で温かい抒情をたたえた歌風で知られ、アララギ派のなかでも独特の柔らかさを持っていた。
千葉から東京へ[編集]
房州(千葉県南部)の出身。1904年に正岡子規の流れをくむ歌誌『馬酔木(あしび)』へ投稿し、伊藤左千夫に激賞されて「千樫」の号を授かった。小学校教員をしていたが1908年に辞職して上京、左千夫に入門する。このとき長塚節や、生涯の親友となる斎藤茂吉らと知り合った。1909年に『アララギ』の発行所が千葉から東京へ移ると、千樫は茂吉とともに初期アララギの台所を切り盛りした。
『日光』へ[編集]
やがて編集の実権は島木赤彦へ譲り、千樫は作歌と研究に集中する。だが、写生を厳しく突き詰めるアララギの主流とは歌風が次第に離れていった。1923年を最後にアララギへの出詠をやめ、翌1924年には北原白秋・折口信夫・木下利玄らと反アララギ的な歌誌『日光』を創刊。自然や日常を平らかに、しかし情感ゆたかにうたう独自の境地を深めた。
夭折[編集]
代表作には自選歌集『川のほとり』があり、没後に『屋上の土』『青牛集』が編まれた。病弱で、1927年8月11日に40歳の若さで世を去る。盟友・茂吉はその死を深く悼み、追悼の歌を残した。アララギと『日光』の双方に足跡を残した、橋渡しのような歌人だった。
余談[編集]
- 斎藤茂吉との友情は近代歌壇でも有名で、二人の交流は書簡や追悼歌に色濃く残る。
- 故郷の鴨川市には誕生地の記念碑があり、ゆかりの地として知られる。
- 同じく早世した中村憲吉・長塚節らと並び、アララギ周辺には結核で夭折した歌人が少なくなかった。