| 今官一 こん かんいち | |
|---|---|
| 本名 | 今官一 |
| 誕生日 | 1909年12月8日 |
| 死亡日 | 1983年3月1日 |
| 死亡年齢 | 73歳 |
| 出身地 | 青森県弘前市西茂森町 |
| 国籍 | 日本 |
| 学歴 | 早稲田大学露文科(中退) |
| 職業 | 小説家 |
| 肩書 | 青森県初の直木賞作家 |
| 活動期間 | 昭和期 |
| 代表的な実績 | 『壁の花』で第35回直木賞/「桜桃忌」の命名者 |
| その他 | 太宰治と同郷の盟友 |
概要[編集]
今官一(こん かんいち、1909-1983)は、青森県弘前市出身の小説家。青森県初の直木賞作家にして、太宰ファンならお馴染みの追悼日「桜桃忌」を名付けた人物として知られる。
同郷の太宰治とは終生の盟友。太宰の華やかな知名度の陰に隠れがちだが、津軽の文学を語るうえで外せないキーパーソンらしい。
弘前から早稲田へ[編集]
1909年(明治42年)、青森県弘前市西茂森町に生まれた。地元の名門・東奥義塾在学中の1926年に洗礼を受けたクリスチャンでもある。のち早稲田大学露文科に進むが中退。同じ津軽の出である太宰治とは早くから親交を結び、上京後も深いつきあいが続いた。
直木賞作家へ[編集]
苦節の時期を経て、1956年(昭和31年)、『壁の花』で第35回直木賞を受賞。青森県出身者として初めての直木賞作家となった。叙情と人情味のある作風で、津軽の風土や市井の人々を描いた。
桜桃忌の名付け親[編集]
今官一の名を不滅にしているのが、太宰治の命日「桜桃忌」の命名である。1948年に世を去った太宰を悼み、その代表的短編『桜桃』と、太宰の誕生日・命日にちなんで「桜桃忌」と名付けた。今や全国の太宰ファンが三鷹に集う一大行事の名前は、この盟友の発案だったのである。
太宰をめぐる仲間たち[編集]
今の周囲には、檀一雄・中原中也・坂口安吾・山岸外史・木山捷平・中村地平・伊馬春部・小山清ら、太宰を中心とする昭和文壇の濃いメンバーがいた。津軽人脈と太宰人脈の結節点に立っていたのが今官一だったといえる。
余談[編集]
- 弘前ではたびたび顕彰の企画展が開かれ、太宰との交流を伝える資料が展示されている。
- 「桜桃忌」という名前のセンスのよさは、今が本職の小説家であったことを思えば納得というもの。