丸山薫

丸山薫
まるやま かおる
ファイル:丸山薫.jpg
誕生日 1899年6月8日
死亡日 1974年10月21日
死亡年齢 75歳
出身地 大分県
国籍 日本
学歴 東京帝国大学国文科
職業 詩人
活動期間 1920年代 - 1974年
代表的な実績 詩誌『四季』の創刊同人/詩集『帆・ランプ・鴎』
受賞 中日文化賞(1957)


概要[編集]

丸山薫(まるやま かおる、1899年6月8日 - 1974年10月21日)は、大分県出身の詩人。堀辰雄三好達治とともに詩誌『四季』を創刊した中堅で、海や船、ランプといったモチーフを澄んだ知性で描く浪漫的抒情詩で知られる。代表詩集は『帆・ランプ・鴎』

「あらゆる僕の不幸を/僕は不幸とは思ふまい」と歌ったかと思えば、汽笛や灯台への憧れをみずみずしく描く。フランス印象派絵画のような、明るくも涼やかな心象風景がこの人の真骨頂らしい。

船乗りになりたかった[編集]

海と船への憧れがことのほか強く、中学卒業後は周囲の反対を押し切って東京高等商船学校(現在の東京海洋大学の前身)へ進学した。ところが脚気を患って退学。船乗りの夢は断たれたが、その海への思慕は生涯、詩のなかに帆や鴎となって繰り返し現れることになる。

その後、第三高等学校を経て東京帝国大学国文科に進む。三高時代に桑原武夫、三好達治梶井基次郎といった生涯の友と出会い、詩作を始めた。錚々たる顔ぶれである。

『四季』の創刊[編集]

1932年、第一詩集『帆・ランプ・鴎』(第一書房)を刊行し、フランス印象派風の心象詩人として詩壇に登場。1934年には堀辰雄三好達治とともに詩誌『四季』を創刊・編集した。『四季』は伝統的な詩情と、新しい純粋な知性による抒情とを結びつけた場で、立原道造田中冬二津村信夫ら多彩な詩人が集い、近代抒情詩の一大潮流「四季派」を形づくった。萩原朔太郎室生犀星北原白秋ら先行世代の流れを受け継ぐ拠点でもあった。

豊橋の詩人として[編集]

1945年の東京大空襲で住居を失い、一時は山形県へ疎開。戦後の1947年以降は愛知県豊橋市に拠を移し、作品を発表し続けた。愛知大学で教鞭をとり、中日詩人会の会長として地域の詩運動に大きく貢献。1957年に中日新聞社の中日文化賞を受賞している。生涯に『仙境』『月渡る』など16冊もの詩集を世に送った。

余談[編集]

  • 詩集名の『帆・ランプ・鴎』は、まさに丸山薫の世界を凝縮したような題で、海・灯・鳥という愛したモチーフが並んでいる。
  • 豊橋市は丸山薫を顕彰しており、ゆかりの資料展などがたびたび開かれているらしい。

関連項目[編集]