津村信夫

津村信夫
つむら のぶお
ファイル:津村信夫.jpg
誕生日 1909年1月5日
死亡日 1944年6月27日
死亡年齢 35歳
出身地 兵庫県神戸市
国籍 日本
学歴 慶應義塾大学経済学部
職業 詩人
活動期間 1930年代 - 1944年
代表的な実績 詩誌『四季』同人/詩集『愛する神の歌』


概要[編集]

津村信夫(つむら のぶお、1909年1月5日 - 1944年6月27日)は、日本の詩人。立原道造とともに詩誌『四季』の若き同人として活躍し、信州・戸隠の自然や素朴な人々への愛をうたった清楚な抒情詩で知られる。第一詩集は『愛する神の歌』

立原道造と並んで「四季派の夭折詩人」として語られることが多く、35歳の若さで世を去った。儚くも澄みきった詩世界は、いまも静かなファンを持つらしい。

文学青年の出発[編集]

法学博士・津村秀松を父として神戸市に生まれた。兄は映画評論家の津村秀夫(筆名Q)。慶應義塾大学経済学部に進むが、予科在学中に肋膜炎を患い、その療養期間にかえって文学への素養を深めていった。1930年、白鳥省吾が主宰する文芸誌『地上楽園』の同人に加わり、室生犀星に師事して詩を学んだ。

『四季』と『愛する神の歌』[編集]

1934年、慶應を卒業すると同時に東京海上火災保険に就職。まさにその年に詩誌『四季』が創刊されると、立原道造とともに参加した。丸山薫堀辰雄三好達治田中冬二らが集う『四季』のなかで、津村は最年少世代として瑞々しい抒情をうたう。1935年には第一詩集『愛する神の歌』を自費出版した。戸隠や信濃路を題材にした詩が多く、旅と土地への愛着がその詩の核にある。

夭折[編集]

1942年ころから健康を害し、アディスン氏病と診断される。東京・築地の病院に入院し、自宅療養に移ったが病状は悪化し、1944年6月27日、35歳で他界した。盟友・立原道造もまた1939年に24歳で結核に斃れており、四季派は二人の若い抒情詩人を相次いで喪ったことになる。

余談[編集]

  • 信州・戸隠を深く愛し、戸隠を題材にした詩や随筆を多く残した。戸隠は津村信夫ゆかりの地として知られるらしい。
  • 兄の津村秀夫は朝日新聞の映画評論家として一時代を築いた人物で、兄弟そろって文筆の道を歩んだ。

関連項目[編集]