梶井基次郎

梶井 基次郎
Kajii Motojirō
ファイル:梶井基次郎.jpg
誕生日 1901年2月17日
死亡日 1932年3月24日
死亡年齢 31歳
出身地 大阪府大阪市
国籍 日本
学歴 東京帝国大学英文学科(中退)
職業 小説家
活動期間 1925年 - 1932年
代表的な実績 『檸檬』『城のある町にて』『櫻の樹の下には』


概要[編集]

梶井基次郎(かじい もとじろう、1901年2月17日 - 1932年3月24日)は、日本の小説家。肺結核のため31歳の若さで世を去った夭折の作家だが、生前に残したのはわずか20編あまりの短編・小品。それでも今日では近代日本文学の古典のような位置を占めている、すごい人である。

なんといっても代表作は『檸檬(レモン)』。憂鬱を抱えた青年が、京都の丸善(書店)の画集の上に一個のレモンをそっと置き、それを「爆弾」に見立てて立ち去る——という、たったそれだけの掌編。なのに、檸檬の黄色とひんやりした感触があまりに鮮烈で、読んだ人の記憶に一生残ってしまう。多くの人が「丸善にレモンを置いてみたくなる」名作である。

レモンと結核[編集]

大阪に生まれ、第三高等学校(旧制三高)をへて東京帝国大学英文科に進学。だが、学生時代から結核を患い、その死の影と隣り合わせの感覚が作品世界の根を成している。1925年、同人誌『青空』の創刊に参加し、その第1号に発表したのが『檸檬』だった。

梶井の文章は感覚的なものと知的なものが融け合った、簡潔で詩情ゆたかな澄明な文体と評される。散歩で出会った風景、自分の身辺の小さな出来事——そんなありふれた題材を、研ぎ澄まされた感覚で結晶のような短編に変えてしまう。私小説的でありながら、ただの身辺雑記には決して収まらない。

珠玉の短編群[編集]

『檸檬』のほかにも、『城のある町にて』『泥濘』『路上』『闇の絵巻』、そして『櫻の樹の下には』——「桜の樹の下には屍体(したい)が埋まっている!」という衝撃的な一文で始まるこの短編は、あまりに有名で、日本人の桜のイメージにまで影を落としている。いずれも短いが、一篇一篇が珠玉の名品と称される。

梶井は夏目漱石や森鷗外、有島武郎や志賀直哉ら白樺派、そして西欧の新しい芸術の影響を受けつつ、誰にも似ていない世界をつくり上げた。表立って前衛を誇示しないのに、深く新しい——そんな作家だった。

死後に高まった評価[編集]

生前の梶井は決して売れっ子ではなかった。三高・東大の文学仲間に支えられ、療養のため伊豆の湯ヶ島に長く滞在し、そこで川端康成と親交を結んだことはよく知られている。1932年、最初の作品集『檸檬』が刊行された直後に、梶井は31歳で息を引き取った。

死後、その評価は静かに、しかし確実に高まっていった。井伏鱒二、伊藤整、吉行淳之介、三島由紀夫、中村光夫……世代も作風も異なる多くの作家たちが、梶井の短編の魅力を語り、賞讃している。短い生涯と少ない作品で、これほど長く読み継がれる作家は珍しい。

余談[編集]

  • 『檸檬』の舞台となった京都の丸善には、長年ファンがこっそりレモンを置いていく「習わし」があったという(店側も半ば公認だったとか)。文学が現実をちょっと侵食した、すてきな例である。
  • 療養先の湯ヶ島では川端康成に将棋で挑んでは負けていた、なんて逸話も伝わる。
  • 同じく結核と向き合った堀辰雄、新感覚派の横光利一川端康成、耽美の谷崎潤一郎らと並ぶ、大正末〜昭和初期文学の輝きの一つ。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]