堀辰雄

堀 辰雄
Hori Tatsuo
ファイル:堀辰雄.jpg
誕生日 1904年12月28日
死亡日 1953年5月28日
死亡年齢 48歳
出身地 東京府東京市麹町区
国籍 日本
居住地 長野県軽井沢
学歴 東京帝国大学国文学科
職業 小説家
活動期間 1920年代 - 1953年
代表的な実績 『風立ちぬ』『聖家族』『菜穂子』


概要[編集]

堀辰雄(ほり たつお、1904年12月28日 - 1953年5月28日)は、日本の小説家。『風立ちぬ』の作者として、いまも幅広く読み継がれている。

「風立ちぬ、いざ生きめやも」——フランスの詩人ヴァレリーの一節を訳したこの有名なフレーズとともに、結核の婚約者と過ごす軽井沢の日々を描いた『風立ちぬ』は、死を見つめながら生きることの美しさをうたい上げた名作。のちにスタジオジブリの宮崎駿監督が同名のアニメ映画にタイトルと精神を借りたことでも、若い世代に知られるようになった。私小説が主流だった日本の文学に、意識的に「作りもの」としてのロマン(小説)を持ち込もうとした作家である。

フランス文学と王朝文学の融合[編集]

東京に生まれ、東京帝国大学の国文科に学んだ。芥川龍之介や室生犀星に師事し、とりわけ芥川を深く敬愛した。堀の文学の特徴は、フランス文学の心理主義(プルーストやリルケ、コクトー)を積極的に取り入れながら、同時に『源氏物語』など日本の古典・王朝女流文学にも新しい生命を見出したところにある。西洋と日本、近代と古典を独自に融合させ、繊細で気品のある作品世界を築いた。

代表作の一つ『聖家族』は、敬愛する芥川龍之介の死の衝撃から書かれた作品で、「死がまるで一つの季節を開いたかのようだった」という印象的な書き出しで知られる。

軽井沢の作家[編集]

堀辰雄を語るうえで欠かせないのが長野県・軽井沢である。自身が肺結核を病んでいたため、堀はたびたび軽井沢で療養し、その清冽な高原の風景を舞台にした作品を数多く残した。『美しい村』『風立ちぬ』、そして王朝物語の世界を現代に重ねた『菜穂子』——いずれも軽井沢の空気が流れている。晩年は軽井沢の追分を終(つい)の住処とした。

死と病を見つめながらも、その筆致は決して暗く湿っていない。むしろ澄んだ哀しみと静かな肯定に満ちている。そこが堀文学の比類ない魅力である。

後進を導いた存在[編集]

戦時下、軍国的な時流に安易に迎合しない堀の清廉な作風は、若い世代の作家たちの拠りどころとなった。詩人の立原道造、そして中村真一郎・福永武彦ら——「堀辰雄の弟子」のような存在として知られる書き手たちが、堀の周りに集まった。彼らはのちに戦後文学の一翼を担っていく。

戦争末期から結核が悪化し、戦後はほとんど作品を発表できないまま闘病生活を送り、1953年に48歳で世を去った。長野県軽井沢には堀辰雄文学記念館があり、その世界を今に伝えている。

余談[編集]

  • 「風立ちぬ、いざ生きめやも」の訳、実は文法的には少し変わった訳し方なのだが、その響きの美しさで完全に日本語として定着してしまった。名訳とはこういうものらしい。
  • 宮崎駿のアニメ映画『風立ちぬ』(2013年)は、堀の同作と零戦設計者・堀越二郎の人生を重ね合わせた作品で、タイトルとモチーフを堀から借りている。
  • 同時代に病と向き合った梶井基次郎、師の系譜にある川端康成谷崎潤一郎ら、大正〜昭和文学の星々と並んで語られる。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]