中谷孝雄

中谷孝雄
Nakatani Takao
誕生日 1901年10月1日
死亡日 1995年9月7日
死亡年齢 93歳
出身地 三重県(現・津市)
国籍 日本
家族 妻:平林英子(小説家)
学歴 東京帝国大学文学部独文科
職業 小説家
活動期間 1925年 - 1990年代
代表的な実績 「日本浪曼派」創刊、「招魂の賦」
受賞 芸術選奨文部大臣賞(1968)
関連活動 同人誌「青空」「日本浪曼派」
その他 義仲寺無名庵庵主


概要[編集]

中谷孝雄(なかたに たかお、1901-1995)は、昭和の文芸運動「日本浪曼派」を保田與重郎らと立ち上げた小説家。若き日には梶井基次郎と同人誌『青空』を、のちには保田與重郎亀井勝一郎らと『日本浪曼派』を創刊し、近代文学の二つの重要な同人誌に深く関わった「同人誌の人」である。妻は小説家の平林英子。

三高・青空の時代[編集]

三重県一志郡七栗村(現・津市)に生まれた。三重県立第一中学校(現・津高校)を出て旧制第三高等学校に進み、ここで梶井基次郎、飯島正、浅野晃らと出会う。この出会いが、その後の文学人生を決定づけた。1924年に東京帝国大学の独文科へ進学し、翌1925年1月、梶井基次郎・外村茂らと同人誌『青空』を創刊。『青空』は梶井の「檸檬」を生んだ伝説的な同人誌で、中谷はその発起人のひとりだった。

日本浪曼派の創刊[編集]

佐藤春夫に師事した中谷は、1935年、保田與重郎亀井勝一郎・木山捷平らとともに同人誌『日本浪曼派』を創刊する。反近代・日本回帰を掲げたこの運動には、のちに太宰治檀一雄も参加し、戦時下の青年たちに熱狂的に迎えられた。中谷は主宰格の保田與重郎を支える中核同人として、この一大文芸潮流の一翼を担った。

作家としての歩み[編集]

1937年に初の作品集『春の絵巻』を刊行して以降、執筆に専念した。戦後も息長く創作を続け、1968年には『招魂の賦』で芸術選奨文部大臣賞を受賞。1974年に勲四等瑞宝章を受けた。盟友・梶井基次郎や日本浪曼派の仲間たちを描いた回想的な作品にも、独自の味わいがある。長い文学的生涯を通じて、青春の『青空』と思想の『日本浪曼派』という二つの記憶を背負い続けた作家であった。

余談[編集]

  • 1977年には松尾芭蕉ゆかりの大津・義仲寺の無名庵庵主となった。芭蕉を敬愛する文人らしい晩年である。
  • 梶井基次郎の盟友として、梶井研究の証言者・語り部の役割も果たし、近代文学史に貴重な記録を残したらしい。

関連項目[編集]