| 亀井 勝一郎 | |
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| ファイル:亀井勝一郎.jpg | |
| 誕生日 | 1907年2月6日 |
| 死亡日 | 1966年11月14日 |
| 死亡年齢 | 59歳 |
| 出身地 | 北海道函館市 |
| 国籍 | 日本 |
| 学歴 | 東京帝国大学(中退) |
| 職業 | 文芸評論家 |
| 代表的な実績 | 大和古寺風物誌、日本人の精神史研究 |
| 受賞 | 菊池寛賞(1965年) |
| 関連活動 | 日本浪曼派・文学界 |
概要[編集]
左翼運動からの転向を経て、仏教と日本の古典に深く分け入った昭和の文芸評論家。保田與重郎らと「日本浪曼派」を創刊し、戦後は『大和古寺風物誌』や畢生の大著『日本人の精神史研究』で、日本人の心の歴史を問い続けた人。函館生まれの北の知識人らしい静かな筆致で知られる。
生い立ちと転向[編集]
1907年(明治40年)、北海道函館に生まれる。東京帝国大学美学科に進むが中退。学生期には左翼的な政治運動に身を投じ、1928年の三・一五事件で検挙された。獄中での転向ののち、親鸞の思想や仏教へ関心を深め、「歴史」と「日本人」を主題とする批評家へと変わっていった。
日本浪曼派から文学界へ[編集]
1935年(昭和10年)、保田與重郎らとともに同人誌『日本浪曼派』を創刊。近代への懐疑と日本古典への回帰を掲げるこの運動の中心人物の一人となった。1938年に同誌が廃刊すると『文学界』の同人となり、以後は同誌に多くの評論を連載した。
大和古寺風物誌と精神史研究[編集]
1943年(昭和18年)刊の『大和古寺風物誌』は、奈良の古寺と仏像をめぐる清冽な紀行随想で、戦中戦後を通じて長く読み継がれた代表作。晩年の1959年からは大著『日本人の精神史研究』の連載に取り組み、1965年(昭和40年)に菊池寛賞を受けた。1966年(昭和41年)、食道癌のため59歳で没した。
評価[編集]
古典や仏教への傾倒、そして戦時下の言論をめぐっては評価が分かれるところもあるが、日本人の精神のかたちを通史として捉えようとした息の長い試みは、戦後の思想史に確かな足跡を残している。
余談[編集]
- 故郷の函館では、ゆかりの人物としていまも顕彰されている。