未知やすえ

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未知やすえ
Michi Yasue
誕生日 1963年8月7日
年齢 63歳
出身地 大阪府東大阪市
国籍 日本
ジャンル 喜劇、コント
活動期間 1982年 -
家族 夫:内場勝則
血液型 O型
事務所 吉本興業
代表作 吉本新喜劇
その他 吉本新喜劇初の女性座長(2007年・1週間)


概要[編集]

未知やすえ(みち やすえ、1963年8月7日 - )とは、日本の喜劇役者・タレントである。吉本興業所属で、吉本新喜劇の座員。2007年に同劇団で初めて本格的な女性座長を務めた。

詳細[編集]

大阪府東大阪市出身。1982年4月1日に漫才コンビ「やすえ・やすよ」を結成し、デビュー間もない時期に若手漫才コンクールで新人賞を受賞している。1984年12月30日にコンビを解散し、その翌日に吉本新喜劇へ入団した。新喜劇でのデビュー作は1985年のうめだ花月上席『吉本新喜劇 牛に曳かれた宝船』。

2007年8月7日から1週間、吉本新喜劇で女性として座長を務めた。それ以前にも女性が座長に立った例はあったが、短期であったり体制が整っていなかったりしたため、本格的な形としてはこれが最初とされる。夫は同じ座員の内場勝則。血液型O型。

コンビ解散の翌日に入団したということ[編集]

経歴のうち、コンビ解散が1984年12月30日で、新喜劇入団がその翌日という日付の並びは、この劇団という場の性質をよく示している。

漫才コンビは二人で一つの単位であり、片方の事情で活動そのものが止まる。ところが劇場の座員は個人として入れるため、単位が解けた後も舞台に立ち続ける道が残る。すっちーの項で整理したのと同じ関係だが、本人の場合は間が一日も空いていない。なんばグランド花月のように年中公演が続く組織では、この受け皿が制度として存在していること自体の意味が大きい。

裏返せば、受け皿があるからこそコンビを解散するという判断も取れる。続ける以外の選択肢がなければ、解散は活動の終わりを意味してしまう。

2007年の女性座長[編集]

2007年の座長就任は「1週間」という期間が明記される形で行われた。この短さ自体が、当時の位置づけを表している。

新喜劇の筋は役柄の配置で回るため、中心に誰が立つかは演目の作り方そのものに影響する。中心の人物像が変われば、周囲の役の反応も、話の運び方も組み直す必要が出てくる。一週間という単位は、その組み直しを常設の体制としてではなく、一回の試みとして行うということである。

2017年に酒井藍がレギュラー座長に就任したことで、この位置は恒常的なものになった。酒井藍の項で書いたとおり、これは配役の組み方の前提が動いたということであり、2007年の一週間はその前段に当たる。

芸風[編集]

突然怒り出す、いわゆるキレ芸で知られる。決めぜりふと組み合わせた型が定着しており、観客が「そろそろ来る」と分かった状態で見られる構成になっている。

池乃めだかの項で整理したとおり、役柄と決めぜりふを固定すれば、筋だけ入れ替えても舞台が成立する。キレ芸がこの形式と噛み合うのは、怒るという反応がどんな筋にも接続できるからである。場面の内容を問わず割り込めて、割り込んだ瞬間に場が動く——辻本茂雄の「茂造」と同じく、演目の内容に依存しない位置に立っている役柄といえる。

よくある質問[編集]

いつ生まれですか
1963年8月7日生まれである。
夫は誰ですか
同じ吉本新喜劇の座員である内場勝則である。
新喜劇に入る前は何をしていましたか
漫才コンビ「やすえ・やすよ」で活動していた。1984年末に解散している。
女性で初めての座長ですか
短期の例は過去にもあったが、本格的な形としては2007年の本人が最初とされる。レギュラー座長としては2017年の酒井藍が初となる。

余談[編集]

  • 座長を務めた2007年8月7日は、本人の誕生日と同じ日付である。
  • 「未知やすえ」という芸名の由来について、公に確認できる説明は見当たらない。
  • 漫才出身で喜劇へ移った演者は池乃めだか小籔千豊すっちーなど複数いるが、出発点での評価のされ方はそれぞれ違う。同じ移動でも、持ってきたものが言葉の速さなのか、間の取り方なのか、役柄の作り方なのかで、その後の芸風が分かれていく。

外部リンク[編集]

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