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小林和作
Wasaku Kobayashi
ファイル:小林和作.jpg
誕生日 1888年8月14日
死亡日 1974年11月3日
死亡年齢 86歳
出身地 山口県
国籍 日本
学歴 京都市立絵画専門学校
職業 洋画家
活動期間 1910年代 - 1974年
代表的な実績 燃えるような色彩の風景画、独立美術協会会員


概要[編集]

小林和作(こばやし わさく、1888年8月14日 - 1974年11月3日)とは、燃えるような色彩の風景画で知られる洋画家。山口の裕福な地主に生まれ、瀬戸内の尾道を愛し、若い画家を惜しみなく支援したパトロンとしても知られる、人柄の大きな画家である。

日本画から洋画へ[編集]

山口県吉敷郡秋穂町(現・山口市)の生まれ。はじめ京都で日本画を学び、京都市立絵画専門学校(現・京都市立芸術大学)に進んで川北霞峰に師事、「霞村」と号した。在学中に文展入選も果たしたが、1918年ごろ洋画へ転向。鹿子木孟郎の画塾に通い、1922年に上京して梅原龍三郎・中川一政・林武らの指導を受けた。

春陽会から独立美術へ[編集]

1925年の第3回春陽会で春陽会賞を受賞、翌年も連続受賞して1927年に春陽会会員となる。1928年から翌年にかけて渡欧。1934年には春陽会を退いて独立美術協会の会員となり、このころ広島県尾道市に移り住んだ。山や海を、原色をぶつけ合うような大胆な筆で描く豪放な風景画が、彼の真骨頂である。

尾道のパトロン[編集]

1953年に芸術選奨文部大臣賞、1971年に勲三等旭日中綬章。尾道を拠点に多くの文化人と交わり、貧しい若い画家を物心両面で支えたことでも知られる。1974年、広島での写生旅行中に転倒して頭を強打し、86歳で世を去った。最後まで筆を握りつづけた生涯だった。

関連項目[編集]

梅原龍三郎 / 林武 / 鹿子木孟郎 / 児島善三郎 / 海老原喜之助 / 里見勝蔵 / 佐伯祐三 / 東郷青児

外部リンク[編集]

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