| 林武 はやし たけし | |
|---|---|
| 誕生日 | 1896年12月10日 |
| 死亡日 | 1975年6月23日 |
| 死亡年齢 | 78歳 |
| 出身地 | 東京 |
| 国籍 | 日本 |
| 職業 | 洋画家 |
| 活動期間 | 1920年代〜1975年 |
| 代表的な実績 | 独立美術協会創立/文化勲章 |
概要[編集]
林武(はやし たけし、1896年12月10日 - 1975年6月23日)とは、日本の洋画家。重厚なマチエールと激しい筆致で対象に迫り、晩年の《赤富士》や薔薇の連作で知られる昭和洋画の巨匠らしい。児島善三郎らと独立美術協会を創立し、のちに文化勲章を受章した。
生い立ち[編集]
東京・牛込に生まれる。余丁町小学校では東郷青児が同級生で、担任の本間寛に画才を見出されたという。家庭の事情で正規の美術教育には恵まれなかったが、独学に近いかたちで絵に打ち込み、強烈な個性を育てていった。
二科から独立美術協会へ[編集]
1921年、第9回二科展で「婦人像」が初入選し樗牛賞を受けた。1923年の関東大震災で被災して一時神戸へ移住。1930年には二科会を脱退して独立美術協会の創立に参加し、同会を主たる発表の場とした。1934年にはフランスを中心にベルギー・オランダ・イギリス・ドイツ・スペインを巡る渡欧を果たしている。
作風[編集]
絵具を厚く塗り重ねた力強いマチエールと、対象の存在感をえぐり出すような造形が林芸術の核。人物・静物・風景のいずれにも骨太な構築性があり、戦後は富士山を主題にした《赤富士》や、燃えるような薔薇の連作で広く親しまれた。
栄誉と晩年[編集]
1963年に東京芸術大学教授を定年退職。1967年11月には文化勲章を受章した。1971年には国語問題協議会の会長に就任し、正しい日本語をめぐる運動にも関わった。1975年6月23日、肝臓癌のため79歳で死去した。
関連項目[編集]
- 児島善三郎 / 三岸好太郎 / 福沢一郎 - 独立美術協会の同志
- 里見勝蔵 / 佐伯祐三 - 1930年協会・独立美術の俊英
- 梅原龍三郎 / 安井曾太郎 / 小磯良平 - 近代洋画の巨匠
- MissAV / 丸の内OLレイナ / 稲垣莉生