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2026年7月30日 (木) 21:15時点における最新版
| 荒井晴彦 Haruhiko Arai | |
|---|---|
| 誕生日 | 1947年1月26日 |
| 年齢 | 79歳 |
| 出身地 | 東京都 |
| 国籍 | 日本 |
| 職業 | 脚本家/映画監督 |
| 肩書 | 季刊『映画芸術』発行人・編集長/日本映画大学教授 |
| 活動期間 | 1977 - |
| 代表的な実績 | 『火口のふたり』/ピンク映画・ロマンポルノ脚本多数 |
| 受賞 | キネマ旬報ベスト・テン第1位 |
| 別名 | 出口出(共同筆名) |
概要[編集]
ピンク映画と日活ロマンポルノを脚本で支え、後に映画批評の論客となった脚本家・映画監督。1947年1月26日、東京都生まれ。若松孝二のプロダクション出身で、季刊誌『映画芸術』の編集長・発行人としても知られる。「シナリオはシナリオ作家の著作物である」という強い信念から、業界に対してたびたび噛みつくことで知られる、骨太な書き手らしい。
来歴[編集]
早稲田大学第一文学部を除籍となり、脚本家の田中陽造に師事。若松孝二作品の脚本を、足立正生とともに「出口出(でぐち・いずる)」名義で執筆した。1977年の『新宿乱れ街 いくまで待って』が初の脚本作品となる。以後、ピンク映画や日活ロマンポルノの脚本を多数手がけ、官能と社会性を両立させた骨太なシナリオで頭角を現していった。
監督業と評価[編集]
1997年、『身も心も』で監督デビュー(脚本も執筆)。2019年には監督・脚本を手がけた『火口のふたり』が第93回キネマ旬報ベスト・テンで日本映画第1位に輝き、脚本家出身の監督としての評価を確立した。一般映画でも数多くのシナリオを残しており、戦後日本映画の脚本史を語るうえで外せない存在となっている。
シナリオ作家としての矜持[編集]
「シナリオはシナリオ作家の著作物である」というスタンスを徹底し、監督やプロデューサーが無断で自作のシナリオを改変したとして、しばしば誌上で強い不快感を表明してきた。脚本家の権利をめぐっては訴訟に発展した一件もあり、業界に対して妥協なく物申す論客として知られている。こうした姿勢は、編集長を務める『映画芸術』の誌面にも色濃く反映されている。
関連項目[編集]
- 若松孝二 - 出身母体である若松プロダクションの主宰者
- 大和屋竺 - 同じ若松プロ周辺の脚本家・監督
- 曽根中生 - 日活ロマンポルノを代表する監督
- 神代辰巳 / 田中登 - ロマンポルノの巨匠たち
- ピンク映画 - 荒井が脚本で支えたジャンル
- 高橋伴明 - 同時代のピンク出身監督
- FANZA
外部リンク[編集]
- 季刊『映画芸術』公式サイトを参照