| 麿赤兒 Akaji Maro | |
|---|---|
| 本名 | 大森博(おおもり ひろし) |
| 誕生日 | 1943年2月23日 |
| 年齢 | 83歳 |
| 出身地 | 石川県金沢市 |
| 国籍 | 日本 |
| 家族 | 大森立嗣(長男)、大森南朋(次男) |
| 職業 | 俳優、舞踏家、演出家 |
| 肩書 | 舞踏集団・大駱駝艦主宰 |
| 活動期間 | 1960年代 - |
| 代表的な実績 | 大駱駝艦の創設、「天賦典式」の確立 |
| 事務所 | 大駱駝艦 |
概要[編集]
麿赤兒(まろ あかじ、1943年2月23日 - )は、日本の俳優・舞踏家・演出家。暗黒舞踏の集団大駱駝艦を主宰する、白塗り巨体のカリスマである。本名は大森博。
舞台では全身金粉や白塗りで異形の身体を晒し、映画やドラマでは強烈な存在感の脇役・怪人役として引っ張りだこ——という二刀流の怪優。俳優の大森南朋(次男)、映画監督の大森立嗣(長男)の父親としても知られ、いまや「ナオトの父ちゃん」で通じる国民的おじいちゃんでもある。
生い立ち[編集]
金沢市に生まれた。父は大日本帝国海軍の軍人で太平洋戦争で自決、母も病を得たため、小学5年で奈良の叔父夫婦に預けられたという波乱の幼少期。奈良県立畝傍高校を経て早稲田大学第一文学部哲学科に進むが中退した。
土方巽から状況劇場へ[編集]
舞踏の開祖土方巽に師事して身体表現の基礎を叩き込まれた後、1964年6月に唐十郎の劇団・状況劇場に参加。紅テントの看板役者として、李麗仙らとともにアングラ演劇黄金期の最前線に立った。生活費のため李麗仙や唐とキャバレーを回った金粉ショーの逸話は、この時代のアングラ芸人たちの貧しくも濃密な空気を伝えている。
大駱駝艦の旗揚げ[編集]
1970年に状況劇場を退団し、1972年に自身の舞踏集団大駱駝艦を旗揚げ。「天賦典式(てんぷてんしき)」と名づけた、巨大なスペクタクルとしての群舞様式を確立した。師の土方巽がストイックな「衰弱体」を突き詰めたのに対し、麿は絢爛豪華な見世物性へ振り切ったのが面白い。ビショイ・サンカイジュク(山海塾)の天児牛大ら、大駱駝艦からは世界で活躍する舞踏家が続々と巣立った。
俳優として[編集]
映画・テレビでもおなじみ。『隠し剣 鬼の爪』など多数の作品に怪演を残し、コメディからシリアスまで何でもござれの名脇役。次男の大森南朋、長男の大森立嗣と親子三人で大駱駝艦50周年を語る企画なども組まれ、芸の血は確かに受け継がれているらしい。
余談[編集]
- 「麿(まろ)」という雅な芸名と、白塗り巨体のいかつい風貌のギャップが強烈。一度見たら忘れられない。
- アングラ演劇と暗黒舞踏が地続きだった時代を、唐十郎・土方巽・寺山修司の三者をまたいで生き抜いた数少ない証人でもある。
関連項目[編集]
- 土方巽 - 師。暗黒舞踏の創始者
- 唐十郎 / 状況劇場 - 古巣
- 李麗仙 - 状況劇場の同志
- 大森南朋 / 大森立嗣 - 息子たち
- 寺山修司 / 横尾忠則 - アングラ文化の同時代人
- MissAV / 稲垣莉生 - サブカル回遊クラスタ