概要[編集]

ナインティナインとは、吉本興業所属のお笑いコンビである。1990年4月結成。岡村隆史がボケ、矢部浩之がツッコミを担当し、1990年代以降のバラエティ番組の中心に長く位置し続けている。略称はナイナイ

詳細[編集]

結成まで[編集]

二人は大阪府立茨木西高等学校のサッカー部で先輩後輩として出会っている。岡村隆史は1970年7月3日生まれ、大阪市出身。矢部浩之は1971年10月23日生まれ、吹田市出身。

1990年にNSC大阪校9期生として入所し、同年結成。在学中にNSC生が参加するアマチュア大会で優勝して心斎橋筋2丁目劇場の出演権を獲得したが、一方で授業料の未納により除籍の通告を受けている。成績と在籍が別々の理屈で動く、学校型の養成所らしい出来事である。

東京へ出た順序[編集]

1991年、吉本の若手コンビ6組で構成されたユニット「吉本印天然素材」に加わって東京へ進出。1992年に第13回ABCお笑い新人グランプリ最優秀新人賞を受賞している。

ここで注目すべきは順序である。漫才の賞レースで実績を積んでから東京へ出たのではなく、劇場に集まった若い観客層を抱えたまま集団で東京に移り、その勢いのまま番組を得ている。M-1グランプリが始まるのは2001年で、当時は賞レースが「評価の窓口」として機能していなかった。窓口が整備される前の世代にとって、売れるための経路は劇場と番組のほうにあった。

二人の役割[編集]

岡村は身体を使った動きと素早い反応、矢部は場の交通整理という分担で知られる。この分担は漫才のボケとツッコミの延長ではあるが、テレビでの立ち回りに移した時に意味が変わる。

複数の出演者が同時に喋るバラエティ番組では、誰かが場の流れを決めなければ収拾がつかない。矢部の役割は相方のボケを受けることより、その場にいる全員の発言を拾って次へ渡すことに寄っている。結果として二人は「二人でひとつのネタを完成させる」形から、「二人で番組ひとつを回す」形へ職能を移した。ダウンタウンが台本をなぞらない進行を持ち込んだ流れの、次の世代にあたる。

冠番組[編集]

1990年代から2000年代にかけて、フジテレビ系・テレビ朝日系の双方で長寿の冠番組を持ち、視聴者参加型の企画やロケ企画を軸にした構成で定着した。明石家さんまの冠番組群と同じく、企画を入れ替えても同じ出演者が回せば成立するという点が、テレビ番組の編成上きわめて扱いやすい。

それぞれの活動[編集]

矢部はラジオの長期番組を持ち、岡村も同様に長く続く番組を担当してきた。コンビでの共演と個人での活動が並走している状態が長く、どちらか一方に寄っていない。

この形は、コンビ名が個人の合計以上の意味を持つようになった演者に共通する。中川家が劇場に軸足を置いたのに対し、ナインティナインはテレビとラジオの定期枠に軸足を置いた。どちらも「決まった場所に定期的に出続ける」点では同じ選択である。

余談[編集]

コンビ名の由来については複数の説明が語られており、一つに定まった公式の説明は確認されていない。

NSCの「期」という単位が業界内の関係を示す目安として使われるようになったのは、大阪校1期のダウンタウン、9期のナインティナインというように、期ごとに全国区へ出た名前が並んだことが大きい。学校の形にしたことの副産物として、世代の区切りが外から見えるようになった。

💬 みんなの声

この記事を読んだ人が、ひとことつぶやく場所です。