相馬黒光

相馬黒光
Sōma Kokkō
ファイル:相馬黒光.jpg
本名 相馬良
誕生日 1876年9月12日
死亡日 1955年3月2日
死亡年齢 78歳
出身地 仙台
国籍 日本
職業 実業家/社会事業家
活動期間 1900年代 - 1950年代
代表的な実績 新宿中村屋の創業、中村屋サロンの主宰
別名 星良(旧姓)、黒光(号)


概要[編集]

パン屋新宿中村屋を夫・相馬愛蔵とともに育て上げ、店の奥に芸術家たちのサロンを開いた女性。旧姓は星、本名は良(りょう)。「黒光」は号で、才気が強すぎて「光を黒で抑えよ」と名付けられたとも言われる。荻原守衛中村彝ら数多の芸術家を支え、近代日本の文化史に深く名を刻んだ中村屋サロンの女主人、らしい。

アンビシャス・ガール[編集]

1876(明治9)年、仙台に生まれた。明治の女性としては珍しく向学心が強く、フェリス和英女学校や明治女学校で学んだ才媛だった。1898(明治31)年に養蚕家の相馬愛蔵と結婚し、夫の郷里・信州安曇野に嫁ぐ。しかし農村の暮らしと気風が合わず健康を害し、療養を兼ねて夫婦で上京することになった。

新宿中村屋の創業[編集]

1901(明治34)年、本郷にあった小さなパン屋「中村屋」を従業員ごと買い取って開業。1904年にはクリームパンを発明し、1907(明治40)年に新宿へ移転した。中華まんやインド式カリー、月餅など、次々と名物を生み出す商才ぶりは見事で、新宿中村屋は東京を代表する名店へと成長していく。

中村屋サロン[編集]

商売に励む一方、黒光は店の奥に絵画や文学のサロンをつくった。ここに集ったのが、彫刻家荻原守衛、洋画家中村彝、詩人で彫刻家の高村光太郎、版画・彫刻の戸張孤雁、歌人会津八一、社会運動家の木下尚江、女優の松井須磨子……と、まさに綺羅星のごとき面々。「中村屋サロン」は近代日本の芸術運動のゆりかごとなった。とりわけ荻原守衛は黒光に深く憧れ、絶作《女》の心象モデルになったとも語られる。

余談[編集]

  • 亡命中のインド独立運動家ラース・ビハーリー・ボースを匿い、その縁で本場のインドカリーが中村屋の名物になった、というのは有名な逸話。
  • 夫・愛蔵が1954年に85歳で世を去ると、黒光も翌1955年、80歳で後を追うように没した。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]