| 戸張孤雁 Tobari Kogan | |
|---|---|
| ファイル:戸張孤雁.jpg | |
| 本名 | 戸張亀吉 |
| 誕生日 | 1882年2月19日 |
| 死亡日 | 1927年12月19日 |
| 死亡年齢 | 45歳 |
| 出身地 | 東京 |
| 国籍 | 日本 |
| 職業 | 彫刻家/版画家/挿画家 |
| 活動期間 | 1900年代 - 1927 |
| 代表的な実績 | 創作版画の草分け、彫刻 |
| 別名 | 亀吉(本名) |
概要[編集]
彫刻家であり、創作版画の草分けの一人でもあった人。本名は亀吉。親友荻原守衛(碌山)の死をきっかけに彫刻家へと転じ、いっぽうで輪郭線を使わない独特の「没骨(もっこつ)調」の版画を生み出した。新宿中村屋サロンの常連でもあり、近代日本の美術運動のあちこちに顔を出す多才な作家だった、らしい。
渡米と荻原守衛[編集]
1882(明治15)年、志村久蔵の長男に生まれ、のちに母方の姓「戸張」を継いだ。青年期に苦学して渡米し、この時に荻原守衛と知り合ったことが運命を変える。守衛に導かれるように彫刻を始めるが、留学時代に結核を患い、以後その病と生涯にわたって闘い続けることになった。
友の死と彫刻への道[編集]
1910(明治43)年、盟友・荻原守衛が30歳で急逝。孤雁は悲しみの中で、亡き友の遺稿集の編集・刊行に奔走した。そして自らも本格的に彫塑を学び、守衛の精神を継ぐ彫刻家として歩み始める。中村彝や高村光太郎らと同じく、新宿中村屋サロンに集う芸術家のひとりだった。
創作版画の開拓[編集]
孤雁は自ら彫り自ら摺る「創作版画」の先駆者でもあった。輪郭線を引かず、色の調子だけで量感を表す没骨調の版画は、彼ならではの流動感をもつ。1910年代には「孤雁新東錦絵会」を創設して自作版画の頒布会を開き、浮世絵の技法を生かした新版画も残した。彫刻・版画・挿絵と、その活動は驚くほど幅広い。
余談[編集]
- 病と闘いながらの創作だったため作品数は決して多くないが、その一点一点に静かな生命感がこもっていると評される。
- 故郷の安曇野・碌山美術館では、荻原守衛とあわせて孤雁の展覧会もたびたび開催されている。
関連項目[編集]
- 荻原守衛 - 親友で彫刻の師にあたる存在
- 相馬黒光 / 中村彝 / 高村光太郎 - 中村屋サロンの仲間
- 今純三 / 関野準一郎 - 近代日本の版画家
- 会津八一 / 木下杢太郎 - サロンの文人
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