中村彝

中村 彝
なかむら つね
誕生日 1887年7月3日
死亡日 1924年12月24日
死亡年齢 37歳
出身地 茨城県東茨城郡千波村(現・水戸市)
国籍 日本
職業 洋画家
活動期間 明治末〜大正
代表的な実績 「エロシェンコ氏の像」(重要文化財)


概要[編集]

中村彝(なかむら つね、1887年〈明治20年〉7月3日 - 1924年〈大正13年〉12月24日)とは、明治末から大正期に活躍した日本の洋画家。茨城県水戸の生まれで、生涯を結核と闘いながら、ロダンやルノワール、レンブラントに学んだ深い精神性のある肖像画を描いた。代表作「エロシェンコ氏の像」は重要文化財に指定されており、新宿・中村屋を舞台にした芸術家サロンの中心人物のひとりとしても知られるらしい。37年の短い生涯で日本近代洋画に忘れがたい一頁を残した夭折の天才である。

生い立ちと闘病[編集]

水戸に生まれた彝は、幼くして両親や兄姉を相次いで失う不幸に見舞われた。軍人を志して陸軍幼年学校を目指すも結核を発病し、療養のうちに絵筆を執るようになる。以後、彝の人生は宿痾の結核との闘いそのものであり、生活の大半を病床で過ごしながら制作を続けた。それでも彼の画には病の翳りよりも、生命への強い希求がにじんでいる。

中村屋サロンと相馬家[編集]

彝はパン店・新宿中村屋を営む相馬愛蔵・黒光夫妻の庇護を受け、店の裏手のアトリエに身を寄せた。中村屋は彫刻家の荻原守衛(碌山)をはじめ多くの芸術家が集う「中村屋サロン」の様相を呈しており、彝もその中心にいた。彝は相馬家の長女・俊子に求婚するが、結核を理由に反対され破談となる。この失意は彼の制作に暗い影を落としたともいわれる。

エロシェンコ氏の像[編集]

1920年(大正9年)、彝はアジア各地を放浪していたロシア人の盲目の詩人ワシーリー・エロシェンコをモデルに「エロシェンコ氏の像」を描いた。半ば目を閉じた詩人の横顔を、暖色の光のなかにとらえたこの作品は、ルノワール風の柔らかな筆致とレンブラント的な精神性が結晶した彝の最高傑作とされ、のちに重要文化財に指定された。わずか1週間ほどで一気に描き上げたとも伝わる。

中原悌二郎との友情[編集]

彝には彫刻家の中原悌二郎という生涯の友がいた。同じく結核を病み、ロダンに啓発されて制作に打ち込んだ中原は、彝の芸術上の盟友であった。1921年に中原が32歳で世を去ると、すでに病床にあった彝は深く悲しんだという。芸術への純粋な情熱で結ばれた二人の友情は、近代美術史に残る挿話として語り継がれている。

余談[編集]

  • 下落合のアトリエは現在「新宿区立中村彝アトリエ記念館」として保存・公開されている。
  • 同時代の萬鉄五郎や岸田劉生ら個性派と並び、アカデミズム一辺倒だった日本洋画に内面性を持ち込んだ画家として評価が高い。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]