| Misato Watanabe わたなべ みさと | |
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![]() 7年ぶりのオリジナルアルバム『Birthday』発売を前に取材に応じた渡辺美里(2026年。出典:デイリースポーツ) | |
| 本名 | 渡辺美里 |
| 誕生日 | 1966年7月12日 |
| 年齢 | 60歳 |
| 出身地 | 京都府相楽郡精華町生まれ、東京都育ち |
| 国籍 | 日本 |
| 身長 | 158cm |
| 血液型 | O型 |
| 学歴 | 東京都立松原高等学校 卒業 |
| 職業 | 歌手、作詞家、作曲家 |
| 肩書 | 女性ソロ歌手初のスタジアムライブを敢行した「スタジアムの女王」 |
| 活動期間 | 1985年 - |
| 代表的な実績 | 「My Revolution」(1986年、オリコン1位・年間5位)、アルバム『ribbon』(1988年、ミリオンセラー)、西武球場20年連続公演(1986年 - 2005年)、オリジナルアルバム8年連続オリコン1位 |
| 受賞 | 第3回ミス・セブンティーンコンテスト 最優秀歌唱賞(1984年)、第28回日本レコード大賞 金賞(1986年「My Revolution」) |
| 事務所 | ララマハロ(2007年 - 、個人事務所) |
| 関連活動 | 小室哲哉、TM NETWORK、岡村靖幸、大江千里、木根尚登、佐橋佳幸 |
| 別名 | MISATO(作詞名義) |
| あだ名 | 美里、美里ちゃん |
| その他 | レーベルはデビュー以来一貫してエピックレコードジャパン(EPIC・ソニー) |
| リンク | 渡辺美里 OFFICIAL SITE、ソニーミュージック アーティストページ |
概要[編集]
渡辺美里(わたなべ みさと、1966年7月12日 - )とは、日本の歌手・シンガーソングライターである。1986年の「My Revolution」で一躍トップに立ち、同年から2005年まで西武球場で20年連続の夏のスタジアムライブを行った。デビューから一度も活動を止めずライブを続ける、80年代J-POPを代表する女性ボーカリストである。
詳細[編集]
「My Revolution」の人[編集]
自作の歌詞とライブを軸にした点で、同時代の松田聖子や中森明菜らアイドル勢とは立ち位置が異なるが、世間一般での渡辺美里のイメージは、ほぼ「My Revolution」と直結している。1986年1月22日発売の4枚目のシングルで、作詞は川村真澄、作曲は当時まだ無名に近かった小室哲哉、編曲は大村雅朗。TBSテレビ系ドラマ『セーラー服通り』の主題歌として流れ、オリコン週間チャートでは初登場10位から8週目にして1位に登りつめた。年間チャートは5位、シングル売上は44.5万枚(累計では約70万枚とされる)で、現在も彼女のシングル最大のヒットである。
イントロの印象的なコードとコーラスは編曲の大村のアイデアで、コーラス部分は渡辺が口ずさんだ鼻歌が元になっている。仮タイトルは「m〜3」で、EPICのプロデューサー小坂洋二の発案で「My Revolution」に決まった。サビ前で3度下がる転調は当時の邦楽では珍しく、後の「小室サウンド」の原型とも評される。小室本人も、この曲以降「同じような曲を」という依頼が約10年続いたと振り返っている。
その後もCMやドラマ、バラエティで延々と使われ続け、東洋水産「麺づくり」のCMではヘビーメタル調やダンス調にアレンジされ、2021年からはJ-POWERのCMソング、2023年には『仮面ライダーガッチャード』で主人公が料理中に鼻歌で歌う場面まで登場した。1999年にはお笑いコンビ・猿岩石(有吉弘行が在籍)もカバーシングルを出している。JYPエンターテインメント創業者のパク・ジニョンが中学時代にこの曲を聴いていたと語ったこともあり、海外にも届いた一曲である。
スタジアムの女王[編集]
もう一つの代名詞が「西武球場」である。1986年8月、大阪スタヂアム、名古屋城深井丸広場、西武ライオンズ球場でスタジアムコンサートを敢行。日本の女性ソロ歌手がスタジアムで単独公演を行うのはこれが初めてだった。以後、西武球場(1999年のドーム化後は西武ドーム)での夏のライブは2005年まで20年連続で開催され、1989年は2日間開催だったため実際は21公演。延べ約70万人を動員し、全盛期には4万枚のチケットが即日完売した。
1990年度からは公演に合わせて臨時列車「MISATO TRAIN」が運行され、ライブは夏の西武沿線の風物詩となった。本人もこのライブがきっかけで西武ライオンズのファンになっている。代表曲の「サマータイム ブルース」は、この西武スタジアムライブのために本人が作詞・作曲した曲である。2005年8月6日の「V20」で連続公演は幕を閉じたが、2026年11月8日には21年ぶりに同じ球場(ベルーナドーム)へ帰ることが決まっている。
アルバム・アーティスト[編集]
シングルでは1位2作品・2位8作品だが、アルバムでは1位を9作品獲得し、オリジナルアルバムが8年連続でオリコン1位という記録(歴代5位タイ)を持つ。このため「アルバム・アーティスト」と形容されることが多い。1988年の4thアルバム『ribbon』は自身初のミリオンセラーとなり、2018年に出た30周年記念盤のライナーでは「戦後最大のポップアルバム」とまで紹介された。
1987年以降は自ら作詞・作曲する曲が大半で、作詞名義は主に「MISATO」。デビュー時から小室哲哉、木根尚登、大江千里、岡村靖幸といった後にビッグネームとなる作家陣が曲を書き、後に伊秩弘将、佐橋佳幸、小林武史、後藤次利らも参加した。EPIC・ソニー一筋で、デビューから40年以上レーベル移籍をしていないのも特徴である。
歌声と「足し算ではなく掛け算」[編集]
声色を作り込まず、まっすぐに張るストレートな歌唱と、言葉を一音ずつ丁寧に届ける歌い方が持ち味。2026年のアルバム評では「歌声で楽曲を染めるのではなく、“完成させる”シンガー」と評された。本人は「My Revolution」が今も多くの人に届く理由について、メロディー、アレンジ、歌詞、歌声の4つが「足し算ではなく掛け算」になったからだと語っている。
1985年のデビュー以来、活動休止期間がないことも本人の誇りで、毎年必ずライブを行い続けてきた。2023年のインタビューでは「ボーカリストに定年はない」としつつ、「生涯現役」と言い切ることには慎重な姿勢を見せ、「不機嫌そうなお年寄りにはなりたくない」「コンサートで観客の気分が明るくなる存在でありたい」と話している。
経歴[編集]
生い立ち - デビュー(1966年 - 1985年)[編集]
1966年7月12日、京都府相楽郡精華町で生まれ、東京都で育つ。東京都立松原高等学校ではラグビー部のマネージャーを務めた。同校の先輩には清水信之、EPO、佐橋佳幸がおり、佐橋とは後に長年ライブで共演する間柄となる。1983年には高校の仲間とアマチュアバンドを組み、学園祭のステージに立った。
1984年、集英社の雑誌『Seventeen』主催の第3回ミス・セブンティーンコンテストで、新設の「最優秀歌唱賞」を受賞し、同誌のモデルとしても活動する。所属事務所Heartlandの先輩・白井貴子の成功もあり、当初は「第二の白井貴子」と見られることもあった。1985年5月2日、シングル「I'm Free」でEPIC・ソニーからデビュー。同年の1stアルバム『eyes』には小室哲哉、木根尚登、大江千里、岡村靖幸らが楽曲を提供している。
ブレイクと黄金期(1986年 - 1989年)[編集]
1986年1月に「My Revolution」を発売し、3月にオリコン1位を獲得。2月27日の『ザ・ベストテン』で5位にランクインし、これが生放送のテレビ初出演となった。同曲で第28回日本レコード大賞金賞を受賞。8月には初のスタジアムライブを成功させるが、9月にはツアー中に声帯ポリープを患いツアーを中断している。12月には日本武道館でTM NETWORKとジョイントライブを行った。10月には同じく小室作曲の「BELIEVE」も発売し、ドラマ『痛快!OL通り』の主題歌となった。
1987年は全49公演の全国ツアー「SKIP TOUR」を完走し、12月に小室作曲の失恋ソング「悲しいね」を発売。1988年5月の4thアルバム『ribbon』でミリオンを達成し、CDシングル第1弾「恋したっていいじゃない」、大江千里作曲の「10 years」などヒットが続いた。1980年代には一時期週4本のラジオレギュラーを抱え、TBSラジオ『渡辺美里のスーパーギャング』や『オールナイトニッポン』も担当している。
1989年は短期間ロンドンに留学し、初主演映画『on the Flower bed』も公開。7月26日の西武球場公演2日目は豪雨と落雷に見舞われ、それでも歌い続けたが途中で中止となった。この日は観客とともに「My Revolution」をアカペラで歌い、「雨のバカー!」と叫んだ映像も残る「伝説のライブ」として語り継がれる。約4か月後の11月30日には東京ドームで「史上最大の学園祭」と銘打った公演を開催。10月発売の「虹をみたかい」はオリコン初登場1位を獲得した。
90年代(1990年 - 1999年)[編集]
1991年から横浜アリーナ公演を始め、1992年にはスタジアムツアー「スタジアム伝説」を開催。1993年のシングル「BIG WAVE やってきた」は、発売直後に起きた北海道南西沖地震の影響でテレビCMが打ち切られ、ラジオでもオンエアが自粛されるという不運に見舞われた。
1995年に事務所をアンティノスマネージメントへ移し、デビュー10周年記念のベストアルバム『She loves you』をリリース。1997年には「My Revolution」などの編曲を手がけた大村雅朗が亡くなり、ライブで追悼した。1999年には初のフルオーケストラコンサート「うたの木」を開催。この「うたの木」の名は、後のスタジオライブ作品やデュエットアルバムのタイトルにも引き継がれている。
V20と紅白初出場(2000年 - 2005年)[編集]
2000年、デビュー以来ディレクターを務めてきた小坂洋二がエピックを退社し、以後はセルフプロデュースに移行。2003年3月にはテレビ朝日系アニメ『ドラえもん』のオープニングテーマ「ドラえもんのうた」を担当した。同年の「LIVE EPIC 25」では小室哲哉がピアノ伴奏を務めている。2004年には映画『世界の中心で、愛をさけぶ』にラジオDJ役で出演し、デビューアルバム収録曲「きみに会えて」が挿入歌として流れた。
2005年8月6日、西武ドームでの20年連続公演が「V20」で完結し、最終公演には大江千里も駆けつけた。同年11月にアルバム『Sing and Roses〜歌とバラの日々〜』を発売。12月31日には第56回NHK紅白歌合戦に初出場し、視聴者投票企画「スキウタ」で選ばれた「My Revolution」を歌った。デビューから20年目、40代を目前にしての初出場だった。
美里祭りと個人事務所(2006年 - 2019年)[編集]
2006年からは毎年「美里祭り」と題したライブを各地で開催。事務所の移籍を経て、2007年5月15日に個人事務所ララマハロへ移った。2010年3月26日には福岡ソフトバンクホークスの開幕戦で書き下ろし曲「ぼくらのアーチ」を披露。2011年の「美里祭り2011」では同じEPIC出身の鈴木雅之と初共演し、6月には日産スタジアムのサッカー日本代表戦で国歌独唱を務めた。
2012年には27年ぶりのライブハウスツアーを行い、ミュージカル『アリス・イン・ワンダーランド』でハートの女王役を演じて初のミュージカル出演を果たした(2014年にも出演)。2013年には日比谷野外大音楽堂で初ライブ、2015年にはデビュー30周年の47都道府県ツアー「30th Revolution」を完走。2016年1月9日には21年ぶりに横浜アリーナのステージに立った。
2017年には3年ぶりのシングル「ボクはここに」を発売し、大村雅朗の没後20年に合わせて「My Revolution」の新バージョンを収録。2018年8月4日には西武ライオンズ40周年企画で、メットライフドーム(旧西武ドーム)で国歌独唱と試合後のスペシャルライブを行い、13年ぶりに同球場のステージに立った。この日はMISATO TRAINも13年ぶりに運行されている。2019年には20枚目のオリジナルアルバム『ID』を発表した。
35周年からデュエットアルバムへ(2020年 - 2024年)[編集]
2020年7月1日、デビュー35周年記念の3枚組ベストアルバム『harvest』をリリースし、オリコンデイリーランキング1位を獲得。昭和・平成・令和の3時代でチャート1位を記録した。同年は日本武道館公演「冒険者たち」も行っている。2022年10月からはプレミアムツアー「Good Time '22〜'23」を開催し、武道館でのファイナルでは小堺一機、山口智充とのデュエットを披露した。
2023年5月3日には、デビュー38周年にして初のデュエットアルバム『Face to Face〜うたの木〜』を発売。10月26日には1989年の西武球場・東京ドーム公演を収めたライブフィルム『misato born4 〜愛と感動の超青春ライヴ〜』が全国24館で一夜限定上映され、熱狂的ファンを公言するビビる大木がトークゲストとして登壇した。2024年1月からはJFN『Good Day Radio』を月1回担当し、5月1日には59枚目のシングル「BITTER☆SWEET ROCK'N'ROLL」を発売。旧作『HELLO LOVERS』『うたの木Gift』の初アナログ盤化も行った。
2025年 - 2026年[編集]
デビュー40周年の2025年は、3月5日の配信シングル「さくらムード」で幕を開け、3月14日には東京・豊洲PITで「渡辺美里BITTER☆SWEET White Day Special」を開催。3月29日からは全国ツアー「渡辺美里 40周年 BITTER☆SWEET ULTRA POP TOUR 2025」をスタートさせた。デビュー記念日の5月2日には東京・日本橋三井ホールで記念ライブを2公演行い、「奇跡のような日々の連続だった」と40年を振り返った。
6月6日には槇原敬之が作詞・作曲した「折りたたみ傘」を配信。誕生日の7月12日には東京・NHKホールで特別公演を行い、10月のNHK大阪ホール公演のMCでベストアルバムの発売を発表した。ツアーは11月30日の福岡市民ホールまで全30公演を完走し、約6万人を動員。12月24日には、関係の深い59名のアーティスト・クリエイターが「渡辺美里といえばこの曲」を選んだ40曲入りの3枚組ベスト『ULTRA POP』を発売した。
2026年は春に40周年の締めくくり公演「じゃじゃ馬40th」を4都市で行ったとされる。5月2日、デビュー記念日に西武ドーム(ベルーナドーム)公演の開催を発表し、「21年ぶりに里帰りしようと思います」とコメント。6月18日にはNHK総合『SONGS』に初登場し、小室哲哉のピアノで「My Revolution」を歌った。7月12日に60歳の誕生日を迎え、7月15日に7年ぶり・21枚目のオリジナルアルバム『Birthday』を発売。7月28日にはNHK『うたコン』に生出演し、「サマータイム ブルース」と新曲「でっかい愛を抱きしめながら」を披露した。11月8日には「明治チョコレート効果presents スタジアム伝説〜復活〜 Sweet 60」を控えている。
主な作品[編集]
シングル(抜粋)[編集]
- 「I'm Free」(1985年5月2日)- デビュー曲
- 「My Revolution」(1986年1月22日)- 作曲:小室哲哉。オリコン1位
- 「Teenage Walk」(1986年)
- 「BELIEVE」(1986年10月22日)- 作曲:小室哲哉。ドラマ『痛快!OL通り』主題歌
- 「悲しいね」(1987年12月9日)- 作曲:小室哲哉
- 「恋したっていいじゃない」(1988年4月21日)- 作曲:伊秩弘将。初のCDシングル
- 「センチメンタル カンガルー」(1988年7月21日)- 作曲:佐橋佳幸
- 「君の弱さ / 10 years」(1988年10月21日)- 「10 years」の作曲は大江千里
- 「すき」(1989年9月1日)- 作曲・コーラス:大江千里
- 「虹をみたかい」(1989年10月21日)- オリコン初登場1位
- 「BIG WAVE やってきた」(1993年7月1日)
- 「ぼくらのアーチ」(2010年3月26日、配信限定)
- 「ボクはここに」(2017年7月5日)
- 「BITTER☆SWEET ROCK'N'ROLL」(2024年5月1日)- 59枚目のシングル
- 「さくらムード」(2025年3月5日、配信)
- 「折りたたみ傘」(2025年6月6日、配信)- 作詞・作曲:槇原敬之
他にライブの定番として「サマータイム ブルース」「夏が来た!」「いつか きっと」「ムーンライト ダンス」「Long Night」「GROWIN' UP」などがある。2021年にねとらぼが行った人気投票(3649票)では、1位「10 years」、2位「My Revolution」、3位「すき」、4位「悲しいね」、5位「BELIEVE」という結果で、ファンの間では「My Revolution」より「10 years」の支持が厚いことがうかがえる。
オリジナルアルバム(抜粋)[編集]
- 『eyes』(1985年)- 1st。小室哲哉・木根尚登・大江千里・岡村靖幸らが参加
- 『Lovin' you』(1986年)- 2nd
- 『BREATH』(1987年)
- 『ribbon』(1988年5月28日)- 4th。初のミリオンセラー
- 『Flower bed』(1989年)- 5th
- 『Sing and Roses〜歌とバラの日々〜』(2005年11月23日)
- 『ID』(2019年)- 20th
- 『Birthday』(2026年7月15日)- 21st
ベスト・企画盤(抜粋)[編集]
- 『She loves you』(1995年)- 10周年ベスト
- 『harvest』(2020年7月1日)- 35周年ベスト。オリコンデイリー1位
- 『Face to Face〜うたの木〜』(2023年5月3日)- 初のデュエットアルバム
- 『ULTRA POP』(2025年12月24日)- 40周年ベスト。全40曲
デビューから40年間で、シングル59枚、オリジナルアルバム20枚(2025年時点)、ライブ盤やカバー盤などの企画作品13枚を発表している。
『ribbon』の作家陣[編集]
『ribbon』は当時のEPIC人脈が総結集したアルバムとして知られる。「センチメンタル カンガルー」「彼女の彼」は佐橋佳幸、「恋したっていいじゃない」「Tokyo Calling」は伊秩弘将、「さくらの花の咲くころに」は木根尚登、「Believe」「悲しいね」は小室哲哉、「シャララ」「19才の秘かな欲望」は岡村靖幸、「10 years」は大江千里の作曲。編曲には清水信之、大村雅朗、有賀啓雄らが名を連ねる。作詞はほぼすべて本人で、22歳の時点ですでに「書く歌手」になっていたことが分かる。
ライブ・出演[編集]
西武球場公演の歩み[編集]
- 1986年:初のスタジアムライブ。女性ソロ歌手として日本初
- 1989年:2日間開催。2日目(7月26日)は雷雨で途中中止
- 1990年度:臨時列車「MISATO TRAIN」の運行開始
- 1999年:球場のドーム化後も公演継続
- 2004年:木根尚登がゲスト出演
- 2005年8月6日:「V20」で20年連続公演が完結
- 2018年8月4日:メットライフドームで国歌独唱・試合後ライブ(13年ぶり)
- 2026年11月8日:ベルーナドームで「スタジアム伝説〜復活〜 Sweet 60」(21年ぶり)
公演に先立ち、2026年6月21日から20週連続で、過去の西武ドーム公演の映像が毎週日曜20時にYouTubeでプレミア公開された。当時を知らない世代が「伝説の雷雨ライブ」を初めて見る機会にもなっている。
テレビ・ラジオ・映画[編集]
テレビでは『ザ・ベストテン』『夜のヒットスタジオ』などの全盛期の歌番組から、近年の『情熱大陸』ライブ、NHK『SONGS』『うたコン』まで幅広く出演。2026年にはテレビ朝日『徹子の部屋』にも登場し、ベルーナドーム公演への決意を語った。CMではUCC缶コーヒー、maxell、日本マクドナルド、ソニーのBRAVIAなどに出演・楽曲提供している。
ラジオとの縁も深く、1980年代のTBSラジオ『スーパーギャング』、ニッポン放送『オールナイトニッポン』、TOKYO FM『風になれたら』などを担当。2000年にはNHK BS2『新・真夜中の王国』でDJを務め、近年はbayfm『渡辺美里のLive Love Life!』などで声を届けている。映画は初主演作『on the Flower bed』(1989年)と『世界の中心で、愛をさけぶ』(2004年)に出演した。
渡辺美里と小室哲哉・TM NETWORK[編集]
小室哲哉とは、デビューアルバム『eyes』からの付き合いである。小室は「My Revolution」で作曲家として一気に名を上げ、その後の安室奈美恵らを手がけるプロデューサー時代への足がかりを得た。小室は完成した曲をスタジオで自らピアノで弾いてメロディを伝えたとされ、この曲で作曲家として認められたいという強い思いがあったと伝えられる。「BELIEVE」「悲しいね」も小室作品である。
1986年12月には日本武道館でTM NETWORKとジョイントライブを開催。TM NETWORKの木根尚登もデビュー当初から曲を提供し、後にプロデュースも担当、2004年の西武球場公演にはゲスト出演した。2003年の「LIVE EPIC 25」、2014年と2016年のステージ、そして2026年の『SONGS』でも、小室のピアノで「My Revolution」を歌う共演が実現しており、40年続く師弟とも同志ともいえる関係である。『SONGS』では小室が「サビ直前のメロディがなぜ生まれたのか」という制作秘話を明かした。
渡辺美里と岡村靖幸・大江千里[編集]
同じEPIC・ソニーの岡村靖幸は、デビュー前の作曲家時代から渡辺に曲を書いていた一人で、『eyes』のほか『ribbon』でも「シャララ」「19才の秘かな欲望」を作曲した。1988年には渡辺のライブに飛び入りで登場し、1989年の西武球場公演にもゲスト出演している。
大江千里とは、1987年の武道館公演でのデュエットをはじめ、西武球場で何度も共演。人気投票上位の常連である「10 years」「すき」はいずれも大江の作曲で、「すき」ではコーラスでも参加している。2005年の西武ドーム最終公演「V20」にも駆けつけ、20年の締めくくりに立ち会った。このほか、佐野元春とは1986年に「ダンス天国」でデュエットし、1990年には共同名義の楽曲も発表。EPICの先輩にあたる鈴木雅之とは2011年に初共演している。
最新動向[編集]
アルバム『Birthday』[編集]
2026年7月15日発売の『Birthday』は、新曲7曲を含む全13曲。リード曲は「でっかい愛を抱きしめながら」で、本人はこれを「わかり始めたMy Revolution」から40年後の自分なりのアンサーだと語っている。槇原敬之提供の「折りたたみ傘」、本人作詞・作曲の「光芒〜Sign〜」、怒髪天の増子直純と共作した「ハートに火をつけて〜シーズン2〜 with 怒髪天」などを収録し、作家には木根尚登、川村結花、斎藤有太らも名を連ねた。
ジャケットはデビューアルバム『eyes』へのオマージュで、18歳当時と同じアングルから、同じデザイナー・カメラマンが撮影。シワやシミの修正は一切していないという。タイトルについては「生きることと、永遠の別れが常に隣り合わせにある」と語り、1997年に亡くなった大村雅朗、2023年に亡くなったベーシストの有賀啓雄ら、ともに音楽を作ってきた仲間への思いも込められている。60歳の誕生日には全曲トレイラーが公開され、発売日にはInstagramで生配信も行った。
ベルーナドーム「Sweet 60」[編集]
2026年11月8日の「スタジアム伝説〜復活〜 Sweet 60」は、2005年の「V20」以来21年ぶりとなる西武ドームでの単独公演。2018年のスペシャルライブは野球の試合後のイベントだったため、自身の名を冠したスタジアムワンマンとしては本当の意味での「復活」となる。還暦を迎えた年に、40年前に女性ソロ歌手初のスタジアムライブを成功させた場所へ戻る形で、タイトルの「Sweet 60」も60歳にちなむ。
余談[編集]
- デビュー当日の1985年5月2日、大阪のレコード店を訪れ、自分のドーナツ盤を店内で一番目立つ場所にこっそり並べ替えたという。40周年ライブで本人が明かしたエピソードである。
- 1989年の雷雨中止ライブは、本人がステージで「雨のバカー!」と叫んだ映像とともに、ファンの間で今も語り草になっている。2026年の『SONGS』ではラバーゲストの山口智充がこの映像を振り返った。
- 大泉洋が初めて買ったCDは「My Revolution」で、2026年の『SONGS』では小学生時代に兄と聴いた思い出を語った。
- 2018年の西武でのライブの際、当時ライオンズの選手だった松井稼頭央は、好きな曲に「太陽は知っている」を挙げていた。
- 自宅ではベランダで家庭菜園をしており、プチトマト、いちご、レモンの木を育てている。収穫直前に鳥に食べられる被害に3回ほど遭い、ネットを張っても防げず「へこむ」と笑っていた。
- 西武球場公演のタイトルには、高校時代に務めたラグビー部マネージャーにちなみ、ラグビーの試合の始まりと終わりに由来する言葉が使われたとされる。
