松岡正剛

松岡正剛
Seigow Matsuoka
ファイル:松岡正剛.jpg
誕生日 1944年1月25日
死亡日 2024年8月12日
死亡年齢 80歳
出身地 京都府京都市
国籍 日本
学歴 早稲田大学第一文学部(中退)
職業 編集者、著述家
肩書 編集工学研究所所長、角川武蔵野ミュージアム初代館長
活動期間 1971年 - 2024年
代表的な実績 雑誌『遊』、書評『千夜千冊』、編集工学の提唱
受賞


概要[編集]

松岡正剛(まつおか せいごう、1944年1月25日 - 2024年8月12日)は、日本の編集者・著述家。情報を編むという行為を「編集工学」として体系化し、雑誌『遊』や膨大な書評集『千夜千冊』を通じて、ジャンルの垣根を越えた「知の編集」を実践し続けた稀代の知識人である。各界の専門家を縦横に結びつけるその仕事ぶりから「知の巨人」「編集の魔術師」とも呼ばれたらしい。

編集への目覚め[編集]

京都の呉服屋に生まれ、東京・横浜と移り住む。高校の新聞部で「編集のめざめ」を覚え、早稲田大学第一文学部仏文科に進学。学生運動の論客として鳴らす一方、量子力学から民俗学、禅まで雑食的に思索を広げた。父の死で大学を中退して広告会社に勤め、高校生向けタブロイド紙を創刊。この時期に稲垣足穂、土方巽寺山修司唐十郎鈴木忠志宇野亞喜良横尾忠則ら、戦後前衛の表現者たちと深く交わった。

工作舎と雑誌『遊』[編集]

1971年、友人らと出版社「工作舎」を設立し、伝説的な雑誌『遊』(1971年 - 1982年)を創刊・編集した。科学と芸術、東洋と西洋を大胆に横断する誌面は、装丁・レイアウトも含めて時代の前衛そのものであり、後の編集者・デザイナーに計り知れない影響を与えた。舞踏家田中泯の踊りを「ハイパーダンス」と名づけたのも松岡である。

編集工学と千夜千冊[編集]

1987年に編集工学研究所を設立し、情報を関係づけ意味を生み出す技術として「編集工学」を提唱。著書『知の編集術』『日本数寄』などで独自の日本文化論を展開した。2000年からはウェブ上で一夜一冊を書評する『千夜千冊』を開始し、その圧倒的な読書量と連想の妙で多くの読者を魅了した。ISIS編集学校の校長、2020年には角川武蔵野ミュージアムの初代館長も務めている。

余談[編集]

早稲田の先輩でもあった寺山修司からは、創刊したタブロイド紙の活動を「東京のヴィレッジ・ヴォイスである」と評されたという。膨大な蔵書と独特の編集論は、晩年まで多くのクリエイターの座右となっているらしい。2024年8月、80歳で死去。

関連項目[編集]