| 徳冨蘆花 とくとみ ろか | |
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| ファイル:徳冨蘆花.jpg | |
| 本名 | 徳富健次郎 |
| 誕生日 | 1868年12月8日 |
| 死亡日 | 1927年9月18日 |
| 死亡年齢 | 58歳 |
| 出身地 | 肥後国葦北郡水俣(熊本県水俣市) |
| 国籍 | 日本 |
| 学歴 | 同志社英学校中退 |
| 職業 | 小説家 |
| 活動期間 | 1889年 - 1927年 |
| 代表的な実績 | 『不如帰』『自然と人生』『みみずのたはこと』 |
| 関連活動 | 民友社/美的百姓 |
| 別名 | 蘆花 |
| その他 | 兄は徳富蘇峰 |
概要[編集]
徳冨蘆花(とくとみ ろか、1868年12月8日 - 1927年9月18日)は、明治・大正期の小説家。本名は健次郎で、「蘆花」は雅号。代表作『不如帰(ほととぎす)』は明治を代表する大ベストセラーとなり、自然随筆『自然と人生』とあわせて国民的作家となった人物である。兄はジャーナリスト・歴史家として一時代を築いた徳富蘇峰で、兄弟そろって明治の言論・文学を動かした名門きょうだいらしい。
晩年は東京近郊で土を耕しながら執筆する「美的百姓」を実践し、トルストイに私淑して権力批判もいとわなかった。華やかなベストセラー作家でありながら、最後は自然と農のなかに身を置いた、ちょっと変わった生き方の文豪である。
生い立ちと兄・蘇峰[編集]
肥後(熊本)の水俣に生まれ、兄・徳富蘇峰が主宰する民友社で記者・翻訳として文筆のキャリアを始めた。若い頃はキリスト教の洗礼を受け、同志社で学んだが中退。兄の大きな存在は終生の重荷でもあり、兄弟は後年に絶縁状態となるなど、複雑な関係をたどったことで知られる。
『不如帰』の大ヒット[編集]
1898〜99年に新聞連載された『不如帰』は、結核を病む薄幸のヒロイン浪子と海軍士官武男の悲恋を描き、「ああ、人間はなぜ死ぬのでせう」の名ぜりふとともに国民的ベストセラーになった。版を重ね、舞台や映画にもなり、明治のメロドラマの代名詞となった。同時代の尾崎紅葉『金色夜叉』と並ぶ「明治の二大ベストセラー」と呼ばれることもある。
自然と人生・トルストイ巡礼[編集]
1900年の『自然と人生』は、相模湾の風景などを清新な筆致でつづった自然随筆・小品集で、近代日本の自然描写文学の先駆となった。1906年にはロシアにトルストイを訪ね、その思想に深く感化される。トルストイ的な人道主義・無教会的な信仰と、自然回帰の生活思想が、その後の蘆花の生き方を決定づけた。
謀叛論と美的百姓[編集]
1907年から東京府下の千歳村粕谷(現・世田谷区)に移り住み、自ら畑を耕しながら執筆する「美的百姓」の生活に入った。1910年の大逆事件で幸徳秋水らが死刑になると、翌1911年、旧制第一高等学校で「謀叛論」を講演し、「諸君、謀叛を恐れてはならぬ」と国家権力を批判して大きな反響を呼んだ。自伝的大作『みみずのたはこと』は、この粕谷での農と思索の日々を記した晩年の代表作である。1927年、群馬・伊香保で兄・蘇峰と和解したのち世を去った。
余談[編集]
- 旧居「蘆花恒春園」は世田谷区の公園として保存され、東京の市民に親しまれている。
- 兄・蘇峰が国家主義に傾いていったのに対し、弟・蘆花は反権力・人道主義に傾き、思想的にも対照的な兄弟だった。
関連項目[編集]
- 尾崎紅葉 - 『金色夜叉』で『不如帰』と並ぶ明治の大ベストセラー作家
- 島崎藤村 / 田山花袋 / 国木田独歩 - 同時代の自然主義の作家
- 北村透谷 - 蘆花も関心を寄せたキリスト教系のロマン主義文学
- 夏目漱石 / 森鷗外 - 同時代の二大文豪
- 徳田秋声 / 正宗白鳥 - 自然主義の大家
- 山田美妙 / 広津柳浪 - 明治文壇の作家
- MissAV / FANZA / 稲垣莉生