広津和郎

広津和郎
ひろつ かずお
ファイル:広津和郎.jpg
本名 広津和郎
誕生日 1891年12月5日
死亡日 1968年9月21日
死亡年齢 76歳
出身地 東京府東京市牛込区
国籍 日本
学歴 早稲田大学英文科卒
職業 小説家・文芸評論家・翻訳家
肩書 日本芸術院会員
活動期間 1910年代 - 1968年
代表的な実績 『神経病時代』『松川裁判』『年月のあしおと』
その他 松川事件の被告救援


概要[編集]

広津和郎(ひろつ かずお、1891年12月5日 - 1968年9月21日)は、日本の小説家・文芸評論家・翻訳家。硯友社の作家広津柳浪を父に持ち、大正期に「奇蹟派」の中心人物として登場した。代表作『神経病時代』で知られる一方、戦後は冤罪事件「松川事件」の裁判批判に全力を注ぎ、文筆家の社会的良心を体現した人物である。

作家でありながら、一つの冤罪事件のために十数年を捧げ、ついに被告全員を無罪に導いた——という生き方そのものが、「文学者の闘い」として語り継がれているらしい。

生い立ち[編集]

東京・牛込の生まれ。父は『今戸心中』などで知られる悲惨小説の作家広津柳浪。7歳で母を亡くし、家庭は経済的に苦しかった。早稲田大学英文科を卒業後、当初は翻訳や評論で頭角を現した。

奇蹟派と『神経病時代』[編集]

1912年、葛西善蔵宇野浩二らと同人誌『奇蹟』に関わり、いわゆる「奇蹟派」の中心となった。評論から創作へ転じ、1917年の『神経病時代』で、虚無感を抱えて生きる近代人の姿を描いて注目を集めた。続く『やもり』『二人の不幸者』など、人生の不安や倦怠を見つめた作品で大正文学の一翼を担った。

評論家・翻訳家として[編集]

鋭い人物評や同時代作家論でも知られ、菊池寛らをめぐる文壇批評でも筆をふるった。チェーホフやドストエフスキーらロシア文学の翻訳・紹介にも力を注ぎ、幅広い教養に裏打ちされた評論家として一目置かれた。娘は作家の広津桃子。

松川事件との闘い[編集]

1949年に福島県で起きた列車転覆事件「松川事件」では、被告とされた人々の冤罪を確信し、1953年ごろから裁判の傍聴と詳細な分析に基づく批判を雑誌に連載し続けた。これをまとめた『松川裁判』は社会に大きな反響を呼び、世論を動かした。長い裁判闘争の末、1963年に被告全員の無罪が確定。一人の作家の執念が司法を動かした稀有な例として記憶されている。

余談[編集]

  • 晩年の自伝的随筆『年月のあしおと』は、明治から昭和に至る文壇の貴重な証言として高く評価されている。
  • 父・柳浪、自身、娘・桃子と三代にわたって文筆家を輩出した文学一家であった。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]