| 川村清雄 かわむら きよお | |
|---|---|
| 誕生日 | 1852年6月13日 |
| 死亡日 | 1934年5月16日 |
| 死亡年齢 | 81歳 |
| 出身地 | 江戸・麹町 |
| 国籍 | 日本 |
| 学歴 | ヴェネツィア美術学校 |
| 職業 | 洋画家 |
| 活動期間 | 1870年代〜1934年 |
| 代表的な実績 | 和洋折衷の油彩/《建国》(オルセー美術館蔵) |
概要[編集]
川村清雄(かわむら きよお、1852年6月13日 - 1934年5月16日)とは、明治期の洋画家。本格的な油彩画技法をヨーロッパで学んだ最初期の日本人画家のひとりで、ヴェネツィア仕込みの堅実な油画技術に日本画の画題や材料を大胆に取り込んだ「和洋折衷」の独特な世界を築いた人物らしい。徳川家とのゆかりが深く、「維新の洋画家」とも呼ばれる。
御庭番の名門に生まれて[編集]
江戸麹町表二番町に、御庭番の家系で御徒頭を務める川村家の長男として生まれる。川村家は初期の御庭番17名の1人・川村新六を祖とする名門で、曽祖父・祖父は奉行職を務めた家柄だった。幕臣の出という出自は、のちに徳川宗家ゆかりの肖像画を手がける縁にもつながっている。
渡仏・渡伊と修業[編集]
1873年(明治6年)にパリへ渡り、アレクサンドル・カバネルの弟子オラース・ド・カリアスらに学んで、アカデミズムの歴史画とその思想を吸収した。1876年(明治9年)にはイタリアへ移り、ヴェネツィア美術学校に入学。色彩豊かなヴェネツィア派の油彩技術を体得したことが、生涯の作風の基盤となった。
和洋折衷の画風[編集]
帰国後の川村は、堅実な油画技術を持ちながらも日本的な伝統を重んじ、絹・屏風・金箔・銀箔といった日本画の材料と手法を積極的に取り入れた。日本家屋に合う縦長・横長の画面形式を用い、季節感や冴えた筆触を生かした独特の油画を描いた。西洋画と日本画のはざまを行く、孤高ともいえる個性である。
代表作[編集]
徳川家とのゆかりから《天璋院像》(1884年)や《徳川家茂像》(1884年頃)といった肖像を手がけたほか、《蛟龍天に昇る》(1891年頃)、《建国》(1929年、オルセー美術館所蔵)などが知られる。高橋由一や黒田清輝ら近代洋画の先達・後進とは異なる道を歩んだ、明治洋画史の異彩として再評価が進んでいる。