| 島村抱月 しまむら ほうげつ | |
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| ファイル:島村抱月.jpg | |
| 本名 | 島村滝太郎(旧姓・佐々山) |
| 誕生日 | 1871年1月10日 |
| 死亡日 | 1918年11月5日 |
| 死亡年齢 | 47歳 |
| 出身地 | 島根県那賀郡(現・浜田市) |
| 国籍 | 日本 |
| 学歴 | 東京専門学校(現・早稲田大学の前身)文学科 |
| 職業 | 文芸評論家/演出家 |
| 活動期間 | 1890年代 - 1918年 |
| 代表的な実績 | 藝術座創立/自然主義文学運動の指導 |
概要[編集]
島村抱月(しまむら ほうげつ、1871年1月10日 - 1918年11月5日)は、明治・大正期の文芸評論家、演出家、新劇指導者。本名は滝太郎、旧姓は佐々山。坪内逍遥の門下から出て雑誌『早稲田文学』を主宰し、日本の自然主義文学運動を理論面で牽引した近代文学・演劇の大立者である。 女優松井須磨子とともに藝術座を起こし、トルストイ『復活』や「カチューシャの唄」の大ヒットを生んだ仕掛け人としても知られる。緻密で重厚な評論で鳴らした学者肌の文人が、晩年は劇団経営に情熱を注いだという、なかなかドラマチックな人生の持ち主らしい。
早稲田と評論家としての出発[編集]
1894年、東京専門学校(現・早稲田大学の前身)文学科を卒業。坪内逍遥に文学を、大西祝(はじめ)に美学を学んだ。卒業後は『早稲田文学』の記者となり、やがて早大講師に。緻密で重厚な美学的評論を書き、評論界では高山樗牛と並び称される存在となった。 1902年からイギリス・ドイツに留学して西洋の美学・演劇を吸収し、帰国後は早大教授に就任。1906年に『早稲田文学』を再刊・主宰し、門下とともに自然主義論を展開して文壇の一大潮流をつくった。
文藝協会から藝術座へ[編集]
1909年、師の坪内逍遥が興した文藝協会に参加し、海外戯曲の翻訳・演出を手がけて新劇運動に深く関わるようになる。研究生だった松井須磨子の才能を見いだし、やがて二人は恋愛関係に。これが逍遥との確執を招き、抱月は家庭も母校も捨てる覚悟で文藝協会を離れた。 1913年(大正2年)、須磨子とともに藝術座を創立。『復活』『カルメン』『サロメ』などを上演し、劇中歌「カチューシャの唄」を流行らせるなど、芸術性と大衆性を両立させた興行で新劇を世間に広めた。
最期[編集]
1918年(大正7年)11月5日、世界的に猛威をふるっていたスペイン風邪に倒れ、東京で急逝した。享年48。盟友であり伴侶でもあった須磨子は後を追って翌1919年1月に世を去り、藝術座も解散した。理論家としても実践家としても近代演劇の礎を築いた功績は大きい。
主な著作[編集]
- 『新美辞学』
- 『近代文芸之研究』
- 『島村抱月著作集』(全集)
余談[編集]
- 「カチューシャの唄」を売るにあたり、抱月は巡業先で必ず歌わせるなど、現代でいう「タイアップ・プロモーション」の先駆けのような戦略をとったといわれる。学者でありながら商才もあったわけだ。
- 故郷の島根県では、ゆかりの文学者として顕彰されている。
関連項目[編集]
- 松井須磨子 - 藝術座を共に率いた女優にして恋人。
- 坪内逍遥 - 抱月の師。文藝協会の主宰者。
- 小山内薫/土方与志/築地小劇場 - 抱月の後に続いた新劇運動。
- 岸田國士/久保田万太郎 - 昭和の新劇・文学座を担った劇作家。
- 相馬黒光 - 同時代の文化人。
- MissAV/丸の内OLレイナ/稲垣莉生 - 宇宙wikiでよく読まれているページ。