| Sayuri Kokusho こくしょう さゆり | |
|---|---|
![]() クルマとバイクについて語るインタビュー時の国生さゆり(2025年10月。出典:JAF Mate) | |
| 本名 | 國生さゆり |
| 誕生日 | 1966年12月22日 |
| 年齢 | 59歳 |
| 出身地 | 鹿児島県鹿屋市(デビュー当時は広島県出身としていた) |
| 国籍 | 日本 |
| 家族 | 父(海上自衛官)、2歳下の弟 |
| 身長 | 162cm |
| 血液型 | A型 |
| 学歴 | 清水ヶ丘高等学校(広島県呉市)卒業 |
| 職業 | 女優、タレント、小説家 |
| 肩書 | 元おニャン子クラブ(会員番号8番) |
| 活動期間 | 1985年 - |
| 代表的な実績 | 「バレンタイン・キッス」(1986年)、「夏を待てない」「ノーブルレッドの瞬間」「あの夏のバイク」(いずれも1986年、オリコン1位) |
| 受賞 | エランドール賞 新人賞(1988年) |
| 事務所 | ソニー・ミュージックアーティスツ |
| 関連活動 | おニャン子クラブ、Mckee |
| 別名 | 國生さゆり(小説の筆名) |
| あだ名 | さゆちゃん |
| リンク | 公式Instagram |
概要[編集]
国生さゆり(こくしょう さゆり、1966年12月22日 - )とは、鹿児島県出身の日本の女優・タレントであり、元おニャン子クラブの会員番号8番である。1986年に「バレンタイン・キッス」でソロデビューし、今もバレンタインの定番曲として歌い継がれている。その後は女優・バラエティへと活動の軸を移し、2020年代には「國生さゆり」名義でネット小説や絵本を手がける書き手としても注目されている。
詳細[編集]
会員番号8番、おニャン子の「お姉さん」[編集]
1985年4月、フジテレビの夕方の帯番組『夕やけニャンニャン』の放送開始と同時に、おニャン子クラブのスターティングメンバーとして参加した。会員番号は8番。オーディションを兼ねた『オールナイトフジ 女子高生スペシャル』(同年2月)で合格し、高校を卒業してから上京している。
番組開始の時点で高校を卒業していたため、現役女子高生が中心のメンバーの中では年長組にあたり、自然とまとめ役を担うことが多かった。おニャン子入りする前は、資生堂のビューティーコンサルタントとして就職が決まりかけていたという話も残っている。本人は後年のインタビューで「グループ活動が苦手だった」と振り返っており、その性格がのちのソロ志向につながっていく。
「バレンタイン・キッス」はソロ曲じゃなかった?[編集]
1986年2月1日、秋元康作詞・瀬井広明作曲の「バレンタイン・キッス」でソロデビュー。オリコン最高2位、約30万枚のヒットとなり、毎年2月になるとテレビやラジオで流れる「冬の定番ソング」になった。
ただし名義は「国生さゆり with おニャン子クラブ」で、純粋なソロ名義ではなかった。本人は2025年のORICON NEWSのインタビューで、当時は「期待されていないのでは」と傷ついたと明かしつつ、今では売れるように大人たちが考えてくれた結果だと理解していると語っている。のちの世代のアイドルにもカバーされ続けていることについても感謝を口にしている。
「うしろゆびさされ組」ではない[編集]
おニャン子クラブ発のユニットとしては「うしろゆびさされ組」が有名だが、国生はそのメンバーではない。同ユニットは高井麻巳子と岩井由紀子の2人組で、国生は参加していない。国生はユニットを経ず、早い段階で単独のソロ歌手として売り出されたメンバーの一人だった。
ソロ2作目以降は秋元康作詞・後藤次利作曲の楽曲が続き、「夏を待てない」「ノーブルレッドの瞬間」「あの夏のバイク」の3作連続でオリコン1位を獲得している。なお、おニャン子クラブの楽曲で国生がフロントボーカルを務めたのは、意外にも2002年の再結成シングル「ショーミキゲン」が初めてである。
歌手から女優、そしてバラエティへ[編集]
1987年3月におニャン子クラブを卒業(番組出演は同年8月の終了まで継続)。卒業時には思い出を「冷蔵庫の缶の中に」しまっておきたいという趣旨の言葉を残し、のちにタモリにネタにされたとされる。その後は女優業を本格化させ、1988年にはエランドール賞新人賞を受賞した。
本人の説明によれば、キャリアの変遷は「苦手なことへの挑戦の連続」だという。グループが苦手でソロへ、歌が苦手で俳優へ、役の幅が狭まってきたらバラエティへ。2000年代に入るとロンドンハーツの準レギュラーとして「怖いお姉さん」キャラで再ブレイクし、2020年代は小説・絵本の執筆と、ジャンルを横断しながら芸能生活40年を超えている。
経歴[編集]
生い立ち[編集]
本名は國生さゆり。父が海上自衛官だったため転勤が多く、長崎県佐世保市、鹿児島県鹿屋市、広島県呉市と移り住んだ。小学校は佐世保と鹿屋で過ごし、鹿屋市立第一鹿屋中学校を経て鹿児島の私立高校に進学。高校2年の夏に呉市の清水ヶ丘高等学校へ編入して卒業した。デビュー当時に「広島県出身」とされていたのはこのためである。
名前の「さゆり」は、父が吉永小百合のファンだったことに由来する。中学・高校時代は陸上部で、100メートルの自己ベストは12秒8という俊足だった。
1984年 - 1987年:おニャン子時代[編集]
1984年、第3回ミス・セブンティーンコンテストに中国地区代表として全国大会へ進んだが、入賞はならなかった。翌1985年1月にはレコード会社対抗運動会に「運動会要員」として出場し、同年2月の『オールナイトフジ 女子高生スペシャル』で、おニャン子クラブのメンバー選考を兼ねたテストに合格した。
4月に『夕やけニャンニャン』が始まると、会員番号8番としてメンバー入り。1986年2月に「バレンタイン・キッス」でソロデビューし、同年は「夏を待てない」「ノーブルレッドの瞬間」(カネボウの秋のキャンペーンソング)「あの夏のバイク」と立て続けにオリコン1位を獲得した。同年には映画『おニャン子ザ・ムービー 危機イッパツ!』や、フジテレビ系ドラマ『スケバン刑事II』にも出演し、写真集『EAGLE』も出している。1987年3月におニャン子クラブを卒業した。
1987年 - 1990年代:女優として[編集]
卒業後の1987年には映画『いとしのエリー』で映画初主演、ドラマ『キスより簡単』で連続ドラマ初主演を果たした。歌手活動は1988年のシングル「ガラスの森」、1989年のミニアルバム『さかな』を最後に休止。『さかな』の表題曲は本人が作詞している。
1990年代は女優業が中心となり、NHK大河ドラマ『翔ぶが如く』(1990年)、ドラマ『砂の器』(1991年)、映画『一杯のかけそば』(1992年)、ドラマ『春の一族』(1993年)などに出演。1992年から1996年にかけてはドラマ版『サザエさん』にも出演した。1995年には室井滋・高山理衣と3人組ユニット「Mckee」を組み、シングル1枚がオリコン初登場28位を記録している。同年4月から1996年夏まで、日本テレビ系『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』のレギュラーも務めた。
2000年代:「ロンハー」で再ブレイク[編集]
2000年代に入っても映画『EUREKA ユリイカ』(2001年)、『パッチギ! LOVE&PEACE』(2007年)などに出演する一方、バラエティでの存在感が急上昇した。2004年からはロンドンブーツ1号2号の『ロンドンハーツ』(テレビ朝日)に準レギュラーとして出演し、歯に衣着せぬ物言いの「姐さん」キャラで人気を集めた。2007年2月の放送ではドッキリ企画の一環として「バレンタイン・キッス」を歌い、2008年2月にはAKB48と共演している。
2007年には「バレンタイン・キッス 2007」を配信限定で発表し、2008年1月には「バレンタイン・キッス 2008」としてセルフリメイク盤を発売。また2004年には『虎の門』の司会も担当した。2006年から2010年まで『週刊ゴルフダイジェスト』で隔週のインタビュー連載を持つなど、ゴルフ好きとしても知られた。
2010年代:タレント・コメンテーター[編集]
2010年代は情報番組のコメンテーターとしての出演が増え、関西テレビ『ハピくるっ!』の金曜レギュラー(2015年3月まで)、日本テレビ『PON!』の火曜レギュラー(2012年 - 2013年)などを務めた。2012年からは東スポWebでコラム「国生さゆりのニャンたま事件簿」を連載している。
女優としては『相棒 Season 2』(2003年 - 2004年)、『科捜研の女』(2018年)、『悪魔の手毬唄』(2019年)などのドラマに出演し、2017年には映画『一週間フレンズ。』に出演。同年には健康本『国生体操』を出版した。2014年にはショップジャパンの「レッグマジック」のCMで宇梶剛士と共演している。
2020年 - 2023年:「なろう作家」デビュー[編集]
コロナ禍で仕事が延期になり家にいる時間が増えたことをきっかけに、2020年頃から小説を書き始めた。2021年7月からは投稿サイト『小説家になろう』で、本名表記の「國生さゆり」名義で長編SF『国守の愛』シリーズの連載をスタート。自衛隊の精鋭部隊が謎の敵と諜報戦を繰り広げるハードボイルドな作品で、2022年5月にネット上で「国生さゆりが小説を書いている」と話題になり、本人も認めた。
2022年には童話『ぬいぐるみ』、詩集『夢となれ』も発表。ドラマでは『IP〜サイバー捜査班』『アバランチ』(いずれも2021年)、『スタンドUPスタート』(2023年)などに出演した。
2024年 - 2025年:webtoon化とデビュー40周年[編集]
2024年にはサントリー「ジムビーム アップル」のCMで、元乃木坂46の松村沙友理と共演。同年4月にはTBS『ハマダ歌謡祭★オオカミ少年』に出演した。
2025年1月、自作小説が縦読みフルカラーのウェブトゥーン『国守の愛〜群青の人・イエーガー〜』としてコミカライズされ、LINEマンガなどで先行配信が始まった。2月14日のバレンタインデーには松本人志の『人志松本の酒のツマミになる話』(フジテレビ)にゲスト出演。同じ2月のORICON NEWSのインタビューでは、コミックの世界配信や、自作の脚本化・映像化への関与など、作り手としての目標を語っている。6月には日本テレビ『秘密のケンミンSHOW極』に出演し、10月には『JAF Mate』の連載インタビューでクルマとバイクへの愛を語った。12月にはフジテレビ『人志松本の酒のツマミになる話』に再登場している。
2026年:初の絵本とソロデビュー40周年[編集]
2026年はソロデビュー40周年の節目の年。4月には朝日放送テレビ『これ余談なんですけど…』に出演し、6月28日にはテレビ東京の生放送特番『テレ東音楽祭2026夏』に出演した。番組内では出演者の「伝説」をテロップで紹介する企画があり、国生については「原作を務めた漫画がある」「バイクの免許試験に5回落ちた」というエピソードが紹介され、SNSで話題になった。同じ時間帯には南野陽子、早見優ら80年代アイドル仲間も登場している。
7月28日には、芸能生活40周年を記念した初の絵本『ボクは最強のぬいぐるみ 〜This is my story〜』(みらいパブリッシング、文:国生さゆり、絵:清水健太)を刊行。「小説家になろう」で発表した童話『ぬいぐるみ』がもとになった作品で、誕生日プレゼントに選ばれたクマのぬいぐるみが電車に置き忘れられ、駅の忘れ物置き場で仲間と出会う物語である。8月には群馬県の甘楽町図書館で原画展と本人による読み聞かせ・サイン会、10月10日には東京・中野で「国生さゆり × くじら楽団 読み聞かせコンサート」が行われた。
8月2日にはInstagramで最新のトレーニングウエア姿を公開し、「若返りすごい」「相変わらず美しい」と反響を集めた。
人物[編集]
- 愛称は「さゆちゃん」。名前をひらがな表記にしたのは、漢字の「小百合」だと真ん中に線を引いたときに左右に割れてしまうことや、堅いイメージを避けたかったためとされる。
- 根っからの乗り物好き。父はクルマを車検ごとに買い替える人で、家族旅行は鹿児島から福岡への車中泊旅行だった。初めての愛車は23歳ごろに中古で買ったメルセデス・ベンツ190E 2.5-16で、ユーノス・ロードスターやフェアレディZにも乗った。
- おニャン子時代、映画『汚れた英雄』に影響されて「アメリカをバイクで横断したい」と自ら企画を提案し、ホンダのバイクでルート66を走った。帰国後には250ccのレブルをこっそり買ったという。ただし現在はバイクを手放し、誘惑に負けないよう二輪免許もあえて失効させ、移動は自転車派。F1観戦やガンダムなどのメカも好き。
- 学科試験に何度も落ちたのは、問題集の存在を知らなかったからで、問題集を使ったらすぐ受かったという。
- 焼酎アドバイザーの資格を持つ。
- 本屋で無断撮影してきたカメラマンを問い詰め、フィルムを没収したという武勇伝がある。
- 気丈なキャラクターで知られるが、本人は「昔も今も一人で泣くことがある」と明かしている。小説も書き直しを重ね、泣きながら書いた場面があるという。
- 2020年代はInstagramでの発信が中心。自撮りやオフショットのほか、酷暑の日の「完全防備」の日焼け対策スタイルまで公開し、ネットニュースの常連になっている。
主な作品[編集]
主なシングル[編集]
| 年 | タイトル | 備考 |
|---|---|---|
| 1986年 | バレンタイン・キッス | ソロデビュー曲(国生さゆり with おニャン子クラブ名義)。オリコン最高2位 |
| 1986年 | 夏を待てない | オリコン1位 |
| 1986年 | ノーブルレッドの瞬間 | カネボウ秋のキャンペーンソング。オリコン1位 |
| 1986年 | あの夏のバイク | オリコン1位 |
| 1987年 | 星屑の狙撃手 | オリコン最高2位 |
| 1987年 | ソレ以上、アレ未満 | オリコン最高2位 |
| 1987年 | 恋は遠くから | オリコン最高9位 |
| 1988年 | ガラスの森 | 歌手活動休止前最後のシングル |
| 2008年 | バレンタイン・キッス 2008 | セルフリメイク |
※作詞はほぼすべて秋元康。「夏を待てない」「ノーブルレッドの瞬間」「あの夏のバイク」「星屑の狙撃手」の作曲は後藤次利。
主なアルバム[編集]
- 『Pep Talk』(1986年)
- 『BALANCE OF HEART』(1987年)
- 『TRANSIT』(1987年)
- 『SUMMER SNOW』(1988年)
- 『哀愁 -Still Loving-』(1988年)
- 『さかな』(1989年)- ミニアルバム。表題曲は本人作詞
- 『GOLDEN BEST 国生さゆり SINGLES』(2002年)
- 『ゴールデン☆アイドル デラックス 国生さゆり』(2015年)
主な出演(ドラマ・映画)[編集]
- 『おニャン子ザ・ムービー 危機イッパツ!』(1986年、映画)
- 『スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説』(1986年、フジテレビ)
- 『いとしのエリー』(1987年、映画)- 映画初主演
- 『キスより簡単』(1987年)- 連続ドラマ初主演
- 『ジュリエット・ゲーム』(1989年、映画)
- 『翔ぶが如く』(1990年、NHK大河ドラマ)
- 『砂の器』(1991年)
- 『獅子王たちの夏』(1991年、映画)
- 『一杯のかけそば』(1992年、映画)
- 『サザエさん』(1992年 - 1996年、ドラマ版)
- 『春の一族』(1993年、NHK)
- 『落下する夕方』(1998年、映画)
- 『EUREKA ユリイカ』(2001年、映画)
- 『相棒 Season 2』(2003年 - 2004年、テレビ朝日)
- 『パッチギ! LOVE&PEACE』(2007年、映画)
- 『一週間フレンズ。』(2017年、映画)- 藤宮志穂役
- 『科捜研の女』(2018年、テレビ朝日)
- 『悪魔の手毬唄』(2019年)
- 『極主夫道』(2020年、日本テレビ)- 第9話
- 『IP〜サイバー捜査班』(2021年、テレビ朝日)
- 『アバランチ』(2021年、関西テレビ)
- 『スタンドUPスタート』(2023年、フジテレビ)
主な出演(バラエティ・情報番組)[編集]
- 『夕やけニャンニャン』(1985年 - 1987年、フジテレビ)
- 『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』(1995年 - 1996年、日本テレビ)- レギュラー
- 『ロンドンハーツ』(2004年 - 、テレビ朝日)- 準レギュラー
- 『虎の門』(2004年、テレビ朝日)- 司会
- 『PON!』(2012年 - 2013年、日本テレビ)- 火曜レギュラー
- 『ハピくるっ!』( - 2015年、関西テレビ)- 金曜レギュラー
- 『ハマダ歌謡祭★オオカミ少年』(2024年、TBS)
- 『人志松本の酒のツマミになる話』(2025年、フジテレビ)
- 『テレ東音楽祭2026夏』(2026年、テレビ東京)
著書[編集]
- 写真集『EAGLE』(1986年)
- 『国生体操』(2017年)
- 『国守の愛』シリーズ(2021年 - 、小説家になろう、國生さゆり名義)
- 童話『ぬいぐるみ』、詩集『夢となれ』(2022年、小説家になろう)
- 絵本『ボクは最強のぬいぐるみ 〜This is my story〜』(2026年、みらいパブリッシング)
主なCM[編集]
- カネボウ(1986年秋のキャンペーン)
- 森永製菓「ピノ」(1986年 - 1987年)
- 日清食品「ラ王」(2006年、琴欧洲と共演)
- ショップジャパン「レッグマジック」(2014年)
- サントリー「ジムビーム アップル」(2024年、松村沙友理と共演)
作家・國生さゆり[編集]
芸能界の「小説を書くタレント」は珍しくないが、国生の場合は出版社経由ではなく、誰でも投稿できる『小説家になろう』から始めたのが特徴である。2022年の週刊女性PRIMEの記事によれば、きっかけはコロナ禍。頭の中にあった場面を誰かに脚本にまとめてもらおうとマネージャーに相談したところ「箇条書きでもいいから自分でまとめてみては」と言われ、書き始めたという。
それまでは長い文章を書いた経験がなく、キーボードで小さい文字を打つ方法から覚えるところからのスタートだった。登場人物の服装や歩き方まで細かく書き込むため、1シーンに3〜4日かかることもあり、人物相関図や建物の配置はスケッチブックに描きながら考えているという。iPhoneとiPadで書いていたデータが消えるのが怖くて投稿サイトを使い始めたという、ちょっと意外な経緯もある。
筆名に本名の「國」を使ったのは、検索で見つかりにくくする狙いもあったとされ、本人は「人に見せるつもりはなかった」と語っている。2025年のインタビューでは、若い頃に余計なことに目を向けてキャリアを傷つけた自覚があり、その「贖罪」として作品を残したかったとも明かした。作品は私小説ではないが、言われて傷ついた経験などを忍ばせており、書くことがデトックスになったという。
40周年の「作り手」宣言[編集]
2025年から2026年にかけて、国生の発言には「出る側」から「作る側」へのシフトがはっきり表れている。webtoon化では作画をプロに任せつつ意見交換を楽しみ、「どうすれば楽しくなるか」を皆で探すのが好きだと話した。今後の目標として挙げたのは、コミックの世界配信、実務としてのプロデュース、自作小説の脚本・映像化への関与、そして芸能活動の継続である。
2026年の絵本も「今度は自分で仕事をつくっていきたい」という思いから生まれたと紹介されている。テレビでは「元おニャン子」「バレンタイン・キッスの人」として呼ばれることが多い一方で、原作者・絵本作家として読み聞かせイベントに立つなど、還暦を目前にして活動の場を自分で広げている。
アイドル論[編集]
ORICON NEWSのインタビューでは、今のアイドルについても語っている。SNSの普及で全方位から見られ、少しの過ちも許されない状況にある今のアイドルは大変だとしつつ、それでも「アイドルは夢のある仕事」と肯定した。一方で、アイドルという「殻」を脱いで変化していくのは難しいとも述べている。
自身については「最初は素人のようなアイドルだった」と客観視しており、その視点が執筆や演技に生きているという。松田聖子、中森明菜、小泉今日子ら「本格派」のソロアイドルが並んでいた時代に、素人っぽさを売りにしたおニャン子から出てきた国生は、苦手なことに挑み続けることで生き残ってきたタイプのタレントだといえる。おニャン子出身者の中では、工藤静香らと並ぶ「出世頭」の一人として名前が挙がることも多い。
炎上とバズ[編集]
有田芳生への投稿(2023年)[編集]
2023年4月の衆院山口4区補選で、立候補した有田芳生が演説で下関市を旧統一教会の「聖地」と表現したことについて、ロンドンブーツ1号2号の田村淳がTwitterで疑問を呈し、国生もこれに反応して有田を批判する投稿をした。これに対しては「批判は的外れ」とする反論も多く、SNS上で賛否が大きく割れた。一部メディアでは政界進出を狙っているのではないかという観測記事も出たが、本人が出馬を表明した事実はない。
「完全防備」の日焼け対策[編集]
2025年6月、猛暑日にInstagramで公開した外出スタイルが話題に。つばの広い帽子、不織布マスク、あごから首元まで覆うフェイスカバーで、目元しか見えない「完全防備」ぶりに、「凄い装備」「前は見えてるんですか?」といったコメントが寄せられ、週刊女性PRIMEなどで記事化された。
宝くじ当選と寄付[編集]
2010年にはブログで宝くじの当選を報告して話題になった。当選金は翌2011年の東日本大震災の際に全額を義援金として寄付したとされる。
余談[編集]
- デビュー当時の「広島出身」というプロフィールは、高校を呉市で卒業したことによるもので、実際の出身地は鹿児島県鹿屋市。
- 『テレ東音楽祭2026夏』で紹介された「バイクの免許試験に5回落ちた」という伝説について、本人は過去のインタビューで、学科試験に落ち続けたのは問題集の存在を知らなかったからだと説明している。
- 2008年の「バレンタイン・キッス 2008」はオリコン135位。オリジナルから22年後のセルフリメイクだった。
- おニャン子クラブ時代にアメリカをバイクで横断した際は、ニューヨークで転倒し、ゴールデンゲートブリッジでもヒヤリとする場面があったという。撮影中にはワニに遭遇したというおまけ付き。
- 『トップガン マーヴェリック』に登場するカワサキのNinjaを見て興奮したと語るほどのバイク好きで、マン島TTレースを生で観るのが夢だという。
- 2025年の誕生日には自身の「アバター」風の写真を公開し、ファンから「来年、還暦!?」と驚きの声が上がったと報じられた。
