加藤唐九郎

加藤 唐九郎
Katō Tōkurō
ファイル:加藤唐九郎.jpg
誕生日 1897年7月19日
死亡日 1985年12月24日
死亡年齢 88歳
出身地 愛知県東春日井郡水野村(現・瀬戸市)
国籍 日本
居住地 愛知県
職業 陶芸家、陶磁史研究家
活動期間 1910年代 - 1985年
代表的な実績 桃山志野・織部の復興、陶磁史研究


概要[編集]

加藤唐九郎(かとう とうくろう、1897年7月19日 - 1985年12月24日)は、愛知県瀬戸出身の陶芸家にして陶磁史研究家。桃山時代の志野・織部のやきものを生涯かけて研究・復興した美濃桃山陶の巨人……なのだが、なんといっても日本陶芸史上最大のスキャンダル「永仁の壺事件」の張本人として記憶されてしまった、強烈すぎる人物である。

天才肌の職人気質と、古陶磁への異常な執着、そして一筋縄ではいかない反骨精神。良くも悪くも「規格外」という言葉が似合う、昭和の陶芸界の怪人らしい。

生い立ちと作陶[編集]

瀬戸の半農半陶の家に生まれ、幼いころから窯場に親しみ、10代で本格的に作陶へ。古い陶片を拾い集めては桃山陶の技を独学で探究し、昭和初期には自分の窯を築いて志野・織部に挑んだ。1930年、岐阜県可児市大萱の古窯跡を調査し、桃山志野が美濃で焼かれた証拠を発見――この発見は荒川豊蔵の大萱での志野陶片発見と並んで、「志野=瀬戸/美濃産」を実証する大きな成果となった。

陶磁史研究[編集]

唐九郎は作る人であると同時に、徹底的に調べる人でもあった。古陶磁の窯跡を歩き、膨大な陶片を分類し、『陶器大辞典』などの大著をまとめた。実作と研究を往復するそのスタイルは、近代の陶芸家のなかでも際立っている。パリの日本陶芸展に織部の作品を出品し、ピカソと作品を交換したという逸話も残るらしい。

永仁の壺事件[編集]

1960年、「永仁の壺」と呼ばれ重要文化財に指定されていた古瀬戸の瓶子が、実は鎌倉時代(永仁2年=1294年)の作ではなく、昭和に唐九郎の手で作られた贋作だった、という疑惑が浮上。世にいう「永仁の壺事件」である。文化財の指定は取り消され、陶芸界を揺るがす大事件となった。唐九郎は日本陶磁協会や日本工芸会理事などの公職をすべて辞任し、以後は在野の陶工として作陶に専念した。皮肉なことに、桃山陶を完璧に再現できる腕前があったからこその騒動でもあった。

唐九郎の志野[編集]

事件後の唐九郎は、かえって肩書から自由になり、自分流の志野を追求していく。鼠志野・赤志野・紫志野(紫匂志野)など、多彩な発色の志野を次々に生み出し、力強くも気品ある独自の作風を確立した。在野でありながら、その作品は今も高く評価されている。

余談[編集]

  • 公職をすべて捨てたことで「無冠の巨匠」と呼ばれた。
  • 同じ志野の鉱脈を掘った荒川豊蔵とは、ライバルにして同時代の証人という関係だった。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]