| 出口裕弘 Yuko Deguchi | |
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| ファイル:出口裕弘.jpg | |
| 本名 | 出口裕弘(ヤスヒロ) |
| 誕生日 | 1928年8月15日 |
| 死亡日 | 2015年8月2日 |
| 死亡年齢 | 86歳 |
| 出身地 | 東京府北豊島郡日暮里町(現・東京都荒川区) |
| 国籍 | 日本 |
| 学歴 | 東京大学文学部フランス文学科 |
| 職業 | 作家、翻訳家、フランス文学者 |
| 肩書 | 元一橋大学教授 |
| 代表的な実績 | サド・バタイユ・シオランらの翻訳、評伝・小説の執筆 |
| 別名 | 津島裕(小説の筆名) |
概要[編集]
出口裕弘(でぐち ゆうこう、1928年8月15日 - 2015年8月2日)は、昭和・平成期の日本の作家・翻訳家・フランス文学者。元一橋大学教授。何よりもまず、澁澤龍彦の40年以上にわたる無二の親友として知られる人物らしい。
フランス文学者として堅い翻訳・研究を残しながら、本心ではずっと「小説家になりたかった」というロマンチストでもあった。学究と創作のあいだで揺れ続けた生涯そのものが、どこか味わい深い。
浦和高校で澁澤と出会う[編集]
東京・日暮里の生まれ。本名の訓みは「ヤスヒロ」。旧制浦和高等学校在学中の1945年、寮で敗戦を迎える。もとはドストエフスキーらロシア文学に傾倒していたが、文芸部の先輩(のちの映画監督・井上芳夫)からフランス現代小説を借りて読み、フランス文学に開眼した。
そして1946年、理科から文科へ転科してきた一人の学生と出会う。澁澤龍雄──のちの澁澤龍彦である。ここから40年以上におよぶ、戦後日本のサブカル×エロスを語るうえで欠かせない名コンビの交友が始まった。
フランス文学者として[編集]
1952年に東京大学文学部フランス文学科を卒業。就職試験に全敗して各地の大学で非常勤講師を務めたのち、北海道大学を経て一橋大学の教授となる。1960年には澁澤の世話でモーリス・ブランショ『文学空間』を粟津則雄と共訳。以後、サド、バタイユ、シオランなど、フランスの過激で透徹した思想家たちの翻訳・紹介を手がけた。盟友の澁澤がサド翻訳でならしたように、出口もまた「際どい知」をまっとうな日本語にする仕事を担った。
太宰に憧れた小説家志望[編集]
出口の隠れた本流は、作家への憧れだった。1955年には澁澤や詩人の岩田宏らと同人誌「ジャンル」を創刊し、敬愛する太宰治の本名(津島修治)にあやかって「津島裕」名義で短篇小説を発表している。長篇にも何度も挑戦したが、第1回で中絶してしまうことも多かったというのが、なんとも人間くさい。
それでも晩年まで筆を執り続け、評伝やエッセイの名手として、澁澤龍彦や種村季弘を中心とする戦後幻想文学・耽美の系譜を内側から照らし続けた。
余談[編集]
- 「就職試験に全敗」したからこそ大学講師の道に入り、結果として一橋大学教授・フランス文学者となったのだから、人生の巡り合わせは面白い。
- 澁澤龍彦の評伝も手がけており、盟友を最もよく知る書き手として、澁澤研究には欠かせない存在となっている。