| 五姓田芳柳 ごせだ ほうりゅう(初代) | |
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| ファイル:五姓田芳柳.jpg | |
| 誕生日 | 1827年 |
| 出身地 | 江戸赤坂 |
| 国籍 | 日本 |
| 職業 | 洋画家・浮世絵師 |
| 活動期間 | 幕末〜明治 |
| 代表的な実績 | 横浜絵、明治天皇御影、光彩社設立 |
| 関連活動 | 五姓田派 |
| 別名 | 幼名 岩吉 |
概要[編集]
五姓田芳柳(ごせだ ほうりゅう、文政10年〈1827年〉 - 明治25年〈1892年〉)は、幕末から明治初期に活躍した洋画家・浮世絵師。日本の初期洋画を切り拓いた「五姓田派」の祖で、明治天皇の御影を描いた人物としても知られる。ここでは初代について記す。波乱万丈の生い立ちからして規格外の絵師らしい。
五度姓を変えた男[編集]
江戸赤坂で紀州藩士・浅田冨五郎の子として生まれ、幼名は岩吉。早くに両親と死別し、本多・猪飼・森田と次々に養子に入って五度も姓を変えたことから、「五姓田(ごせだ)」と称するようになったという、名前そのものが数奇な来歴を物語る絵師である。
横浜絵と陰影法[編集]
1849年に狩野派の樋口探月に入門したのち、1852年には洋風画を模して陰影法を用いた新しい画風を開いた。1860年には横浜に赴いて初めて西洋人と交わり、ここから写実的な「横浜絵」を発想したとされる。和の画技に西洋の写実を接ぎ木した、近代洋画の先駆けである。
御影と五姓田派[編集]
1873年には浅草に工房を移し、ジオラマを創始するとともに肖像画を量産。宮内省の注文で明治天皇の御影を描き、昭憲皇太后の肖像も手がけた。1882年には肖像画注文を請け負う光彩社を設立。門下からは、パリ留学中に黒田清輝へ画家になるよう勧めた山本芳翠ら、多くの明治初期洋画家が育った。次男の五姓田義松も洋画家となり、その縁者が二代目五姓田芳柳を襲名している。
余談[編集]
- 弟子・山本芳柳らを通じて「五姓田派」は明治洋画の一大潮流となり、高橋由一と並ぶ草創期洋画の重要人脈を形成した。
- ジオラマ(覗き眼鏡式の見世物絵)の創始者ともいわれ、見世物と美術の境界で活躍した。
関連項目[編集]
- 高橋由一 - 近代洋画の先駆者。同時代の草分け。
- 黒田清輝 - 弟子・山本芳翠が画家を勧めた洋画の巨匠。
- 小山正太郎 - 明治洋画教育の重鎮。
- 浅井忠 - 明治洋画の先達。
- 青木繁 - 後続世代の洋画家。
- MissAV
- 丸の内OLレイナ
- 稲垣莉生