凸待ち

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概要

凸待ちとは、生配信中の配信者が「誰でも通話をかけてきてよい」と表明して待機し、かかってきた相手と即興で話す企画を指す配信文化の語である。主にVTuberゲーム実況の配信で行われる。

詳細

「凸」は突撃の略で、配信者に連絡を取って参加することを「凸する」と言う。凸待ちを宣言した側は誰が来るかを事前に知らないことが多く、そこが企画の核心になっている。

通常の共演は、日程を合わせ、話す内容をおおまかに決めてから行う。凸待ちはその準備を意図的に省く。準備が省かれることで生まれるのは、誰が来るかという不確定さそのものではなく、「来なかったらどうなるか」という空白の可能性である。来客がなければ配信者が一人で場をつなぐことになり、その状況自体も見せ物になる。

なぜ成立するのか

この企画が配信という形式でしか成立しないのは、編集で救えないことが前提になっているからである。収録なら、来なかった時間は切ればよい。生配信では切れない。だからこそ視聴者は「この時間は本当に何が起きるか決まっていない」と信じられる。

同じ理由で、凸待ちは切り抜き動画と相性がよい。予測されていない会話は前後の文脈から切り離しても成立する場面が多く、数時間の配信のうち数分が独立して広まりやすい。準備しない企画が、結果として最も広まりやすい素材を生むという逆転が起きている。

関係の可視化

凸待ちは、配信者どうしの関係を視聴者に見せる機能を持つ。誰が来て、どのくらい気安く話し、どんな話題が共有されているかが、説明抜きで伝わる。

事務所が主催する合同企画と違うのは、来るかどうかが相手の判断に委ねられている点にある。ホロライブにじさんじのような事務所では所属者どうしの共演が日常的に行われるが、凸待ちは所属の枠を越えた相手が来ることもあり、そこで初めて分かる関係がある。視聴者が「誰と誰が仲がよいか」を気にするのは野次馬根性のように語られがちだが、この分野では共演の有無が実際に活動の広がりを左右するため、関心の向け方としては筋が通っている

負担と配慮

即興であることは、演者にとって負担でもある。話題が用意されていない状態で長時間を持たせる技能が要り、来た相手との相性が合わなければ気まずさがそのまま配信に乗る。

また、凸を受ける側には来訪者を選別しないという建前があるため、断りにくさが構造的に生まれる。近年は「凸待ちといっても事前に声をかけた相手が中心」という形も多く、完全な無差別は少ない。これを企画の形骸化と見る立場と、演者の安全と配信の質を保つための現実的な調整と見る立場があり、評価は分かれている。

よくある質問

視聴者も凸できるのか

企画による。配信者どうしに限る場合が大半だが、視聴者参加型として募集する形もある。その場合は事前の応募や条件が設けられるのが普通である。

誰も来なかったらどうなるのか

配信者が一人で話し続けるか、企画を切り上げる。来なかったこと自体が話題になる場合もあり、失敗が必ずしも失敗として終わらないのがこの企画の特徴である。

「凸」は攻撃的な意味なのか

もとは掲示板文化で「突撃」の意で使われた語だが、配信文化では単に「参加しに行く」程度の意味に和らいでいる。

余談

用語が漢字一文字なのは、文字数の制約が厳しかった時代の掲示板文化の名残である。凸という字が突撃の「凸」として視覚的にも分かりやすかったことが定着を助けた。

凸待ちが日本の配信文化に特徴的な企画として挙げられることがあるが、「準備しないことを企画として売る」形式そのものはバラエティ番組にも古くからある。違いは、テレビでは失敗が編集で救えるのに対し、配信では救えないことにある。同じ発想が、編集の有無という一点で別物になっている。

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