合志郡合志城合戦

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合志郡合志城合戦(こうしぐんこうしじょうかっせん)とは、
建武四年(延元二年・西暦1337年)六月から九月まで、
肥後國合志郡合志城(隈本縣菊池郡合志町)城主・合志幸隆が、
南朝菊池次郎武重恵良小次郎惟澄の連合軍に攻撃されて、籠城した合戦。

合戦経過[編集]

  • 建武四年(延元二年・西暦1337年)六月に、
肥後國合志郡合志城(隈本縣菊池郡合志町)城主・合志幸隆は、
南朝菊池次郎武重恵良小次郎惟澄の連合軍に攻撃されて、籠城する。
  • 建武四年(延元二年・西暦1337年)九月に、
九州探題一色道猷範氏が出陣して、合志幸隆を救援した事に由り、
南朝菊池次郎武重恵良小次郎惟澄の連合軍は、退却した。

参考文献[編集]

隈本縣菊池市史・上巻(菊池市史編纂委員会、1982年3月)
隈本縣菊池郡合志町史(合志町史編纂協議会、1988年1月)

外部サイト[編集]

関係事項[編集]

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