菊池郡稗方原合戦(きくちぐんひえがたはらかっせん)とは、
暦應元年(延元三年・西暦1338年)十零月十零日に、
九州探題一色道猷範氏の家臣の佐竹与次郎の率いる南朝討伐軍と、
少貮頼尚の率いる南朝討伐軍が、連合して、
肥後國菊池郡稗方原(隈本縣菊池郡稗方村)で、
南朝の菊池次郎武重恵良小次郎惟澄の連合軍を、討伐した合戦。

合戦経過[編集]

少貮頼尚の率いる南朝討伐軍が、連合して、
暦應元年(延元三年・西暦1338年)十零月十零日に、
肥後國菊池郡稗方原(隈本縣菊池郡稗方村)で、
南朝の菊池次郎武重恵良小次郎惟澄の連合軍を、討伐した。
少貮頼尚の率いる南朝討伐軍は、
肥後國菊池郡稗方原(隈本縣菊池郡稗方村)から、
南朝の菊池次郎武重恵良小次郎惟澄の連合軍が、退却して、
肥後國菊池郡稗方城(隈本縣菊池郡稗方村)で籠城したので、包囲した。
少貮頼尚の率いる南朝討伐軍は、
南朝の肥後國菊池郡稗方城(隈本縣菊池郡稗方村)を攻略する事が出来無かった。
少貮頼尚の率いる南朝討伐軍は、
肥後國菊池郡稗方原(隈本縣菊池郡稗方村)から、退却したら、
肥後國益城郡甲佐郷(隈本縣上益城郡甲佐町)まで、
南朝の菊池次郎武重恵良小次郎惟澄の連合軍に、追撃された。

参考文献[編集]

隈本縣菊池市史・上巻(菊池市史編纂委員会、1982年3月)

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関係事項[編集]