肥後飽田國府合戦(ひごあきたこくふかっせん)とは、
九州探題一色道猷範氏と、少貮頼尚の、南朝討伐軍が、
建武五年(延元三年・西暦1338年)四月八日に、
南朝菊池次郎武重恵良小次郎惟澄の連合軍に、肥後國飽田郡國府を奪取された事に由り、
南朝軍から、肥後國飽田郡國府を奪還する為に出陣したが、撤退した合戦。

合戦経過[編集]

  • 建武五年(延元三年・西暦1338年)四月八日に、
南朝菊池次郎武重恵良小次郎惟澄の連合軍に、肥後國飽田郡國府を奪取された。
  • 建武五年(延元三年・西暦1338年)四月九日に、
九州探題一色道猷範氏と、少貮頼尚の、南朝討伐軍が、
南朝軍から、肥後國飽田郡國府を奪還する為に合戦をしたが、奪還が出来無かったので撤退した。

参考文献[編集]

隈本縣菊池市史・上巻(菊池市史編纂委員会、1982年3月)
隈本縣新隈本市史・通史編・第二巻・中世(新隈本市史編纂委員会、1998年3月)

外部サイト[編集]

関係事項[編集]