徳間書店

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株式会社徳間書店
Tokuma Shoten Publishing Co., Ltd.
国家 日本
種類 株式会社
市場情報 非上場
業種 出版
本社所在地 東京都品川区
設立日 1954年3月
設立者 徳間康快
主要株主 カルチュア・エンタテインメント(カルチュア・コンビニエンス・クラブ傘下)
関係する人物 徳間康快/鈴木敏夫
代表作品 週刊アサヒ芸能/アニメージュ/ENTAME


概要

徳間書店とは、東京都品川区に本社を置く日本の出版社である。1954年3月に徳間康快が興した東西芸能出版社を前身とし、『週刊アサヒ芸能』『アニメージュ』などを刊行してきた。スタジオジブリの設立に中心的に関わったことでも知られる。

詳細

1954年3月、徳間康快が東西芸能出版社を設立し、休刊していた『アサヒ芸能新聞』を再刊した。1961年に書籍部門を徳間書店として独立させ、以後は雑誌・文芸・児童書・実用書まで扱う出版社として展開した。

看板雑誌は『週刊アサヒ芸能』で、双葉社の『週刊大衆』、日本ジャーナル出版の『週刊実話』と並ぶ層の雑誌として長く刊行されている。1978年創刊のアニメ専門誌『アニメージュ』は、アニメを情報として扱う専門誌というジャンルそのものを確立した。

グラビア分野では『ENTAME』および後継のウェブメディアがあり、ゼロイチファミリア所属タレントをはじめとするグラビアの記事が多数配信されている。宇咲の写真集『開花』も同社から刊行された。

スタジオジブリとの関係

徳間書店の名前が最も広く知られているのは、スタジオジブリとの関係による。宮崎駿の映画は同社が中心となって製作されてきた。

この結びつきの起点は『アニメージュ』にある。同誌の編集に携わっていた鈴木敏夫が宮崎駿・高畑勲と接点を持ち、雑誌企画として始まった連載が映画製作へ発展した。出版社がアニメ映画の製作に乗り出すという判断は当時としては異例で、雑誌が取材対象との関係から事業そのものを生んだ形になっている。

2005年4月、徳間書店は徳間書店事業本部とスタジオジブリ事業本部を分離し、「株式会社徳間書店」と「株式会社スタジオジブリ」として独立させた。

資本関係の変化

2013年10月、カルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)および同社の出版事業子会社であるカルチュア・エンタテインメントと業務・資本提携した。2017年3月21日付でカルチュア・エンタテインメントが株式を追加取得し、出資比率を9割超に引き上げて子会社化した。

書店・レンタル事業を展開する企業が出版社を傘下に収める動きは、この時期に複数あった。小売の側から見ると、出版社を持つことは棚に並べる商品そのものを設計できるということであり、企画段階から店頭の売り場を前提にできる。出版社の側から見れば、部数の読みにくい市場で流通の出口が確保される。書籍の市場が縮小するなかで、製造と小売が接近する動きの一例と位置づけられる。

グラビア分野での位置

徳間書店は、グラビアの分野でも一定の存在感を持つ。『ENTAME』および同系のウェブメディアは、グラビアアイドルの新譜・新作情報を継続的に配信しており、ゼロイチファミリア所属タレントの結成発表や写真集刊行の一次的な報じ手になることが多い。

グラビアの市場には、集英社(『週刊プレイボーイ』『週刊ヤングジャンプ』)、講談社(『週刊ヤングマガジン』)、光文社(『FLASH』)、白泉社(『ヤングアニマル』)、秋田書店(『ヤングチャンピオン』)といった各社の誌面があり、ワニブックスのような写真集専門の版元もある。徳間書店はこのうち、雑誌本体よりもウェブメディアと単行本・写真集の側から関わる比重が大きい。

宇咲の写真集『開花』のように、グループ解散前後の時期に個人名義の刊行物を出す動きは、グラビア分野では珍しくない。グループ名義の知名度が最も高い時期に、個人の商品を出しておくという判断である。


よくある質問

スタジオジブリと徳間書店の関係は?
徳間書店が中心となってスタジオジブリを設立し、宮崎駿の映画を製作してきた。2005年に両者は分離し、それぞれ独立した会社となった。
『アニメージュ』はどこの雑誌?
徳間書店。1978年創刊のアニメ専門誌である。
いまも独立した会社?
法人としては存続しているが、2017年にカルチュア・エンタテインメント(カルチュア・コンビニエンス・クラブ傘下)の子会社となった。
創業者は?
徳間康快。1954年に東西芸能出版社を興し、『アサヒ芸能新聞』を再刊した。

余談

  • 『週刊アサヒ芸能』と『アニメージュ』と宮崎駿作品が同じ会社から出ているという組み合わせは、出版社の事業範囲としてはかなり振れ幅が大きい。創業者が映画会社の経営にも関わっていた経緯が、その幅の背景にある。
  • アニメ専門誌という市場は『アニメージュ』創刊以降に成立したもので、それ以前はアニメの情報は少年誌やテレビ誌の一部として扱われていた。専門誌が生まれると、作り手個人の名前が読者に知られるようになる。監督や作画担当が固有名で語られる文化は、この時期の専門誌が土台を作っている。
  • 出版社が映像作品の製作に踏み込む形は現在では珍しくないが、1980年代半ばの時点では前例が乏しかった。雑誌の取材から事業が生まれるという順序は、いまのIP展開の議論とは逆向きに見える。

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