萩尾望都

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萩尾望都
Moto Hagio
誕生日 1949年5月12日
年齢 77歳
出身地 福岡県
国籍 日本
職業 漫画家
活動期間 1969年 -
代表的な実績 『ポーの一族』『11人いる!』『トーマの心臓』
受賞 小学館漫画賞(第21回)/文化功労者(2019年)
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概要

萩尾望都(はぎお もと、1949年5月12日 - )とは、日本漫画家である。『ポーの一族』『11人いる!』などで知られ、1970年代に少女漫画の表現を作り替えた作家群「24年組」の中心人物とされる。

詳細

福岡県生まれ。1969年になかよしでデビューしたが、当時の少女漫画誌が求める作風と噛み合わず、原稿の不採用が続いた。その持ち込み原稿を竹宮惠子経由で小学館『少女コミック』の編集者が見たことで発表の場が変わり、以後は同誌を中心に長短の作品を発表していく。

何を変えたのか

萩尾の作品がそれまでの少女漫画と違ったのは、題材と構造の両方である。

  • 主人公が少年である。 読者は少女なのに主人公が少年では読まれない、というのが当時の編集部の一般的な判断だった。実際には支持され、以後この前提そのものが崩れた。
  • SF・ファンタジー・心理劇を持ち込んだ。 『11人いる!』は宇宙船を舞台にした密室劇であり、『ポーの一族』は不老の一族をめぐる約200年の年代記である。
  • 時間を連続で描かない。 『ポーの一族』は各話が別々の時代に飛び、発表順と作中年代が一致しない。読者は断片を読み終えてから全体像を組み立てることになる。長編を「順に読む物語」ではなく「集めて像を結ぶ物語」として設計した点が、同時代の作品と最も大きく違う。

こうした作りは文芸評論の対象にもなり、少女向けの雑誌に載っている作品が年齢・性別を超えて論じられる状況を作った。1977年から1978年には『週刊少年チャンピオン』で光瀬龍原作『百億の昼と千億の夜』を連載し、少年漫画誌でも作品を発表している。

大泉サロン

1970年前後、東京・練馬区南大泉のアパートで竹宮惠子と共同生活を送り、そこに同世代の漫画家志望者が集まった。後に「大泉サロン」と呼ばれ、手塚治虫石ノ森章太郎らのトキワ荘になぞらえて語られることが多い。ただしこの時期については萩尾・竹宮それぞれが後年に回想を発表しており、当時の関係や解散の経緯について記述が一致しない部分がある。外部から事実関係を確定できる性質の話ではなく、どちらか一方の説明だけを採るのは適切ではない。

海外の反応

英語圏やフランス語圏では、日本の少女漫画が文学的に論じられる際にほぼ必ず名前が挙がる作家として扱われる。一方で、代表作の多くが1970年代の作品であり翻訳が行き渡っているとは言いがたいため、評価の高さと実際に読まれている量が釣り合っていないという指摘もある。

余談

  • 2019年に文化功労者となった。漫画家がこの種の顕彰を受けること自体が、作品が発表された当時には想定されていなかった扱いである。
  • 少女向け雑誌に載った作品が、後年になって少年漫画・青年漫画・SF小説の読者からも参照されるようになった=掲載誌による区分が作品の中身を説明しないことを早い時期に示した例として引かれる。

外部リンク

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