テリー伊藤のお笑いバックドロップ


テリー伊藤
テリー伊藤のお笑いバックドロップ.jpg
(Source:google)
ID YouTube:@user-ke8yy7uw3e
本名 伊藤 輝夫(いとう てるお)
誕生日 1949年12月27日
年齢 74歳
出身地 東京都中央区
身長 174cm
血液型 O型
学歴 日本大学経済学部
プラットフォーム YouTube
登録者数 YouTube:15万人[1]
リンク YouTube
掲示板 n/インフルエンサー


概要[編集]

日本のYouTuber(ユーチューバー)、YouTubeチャンネル。 テレビディレクター、テレビプロデューサー、タレント 車の紹介動画をメインに投稿

歴史[編集]

  • 18歳の時に日大全共闘に参加する(彼が学生運動に参加する様子を当時のテレビカメラが捉えていた)が、デモ行進中に投げられた石が顔面に当たり重傷を負い、東京慈恵会医科大学附属病院に2ヶ月間入院。この怪我が元で、左目が55度外を向く「外斜視」になる。
  • 大学卒業後は寿司屋やアパレルメーカーのアルバイトを経て、1973年にIVSテレビ制作に入社。2年後に放送が開始された『びっくり日本新記録』にADとして参加し、テレビマンとしてのキャリアを開始させた。その後、「シマウマは素肌も白黒か?」や「たこ八郎に東大生の血液を輸血してIQ上昇実験」などを手掛けた。
  • 1985年に独立しロコモーションを設立。IVSにも籍を残し、自身も手がけていたIVS制作番組の『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』や『ねるとん紅鯨団』のゼネラルディレクター・総合演出を引き続き行った。ロコモーションとしては電通や吉本興業と共に立ち上げた『浅草橋ヤング洋品店』がテレビ東京としては好調な番組となった。
  • 1993年、北朝鮮を訪問した際の体験談などを綴った『お笑い北朝鮮』を出版した。
  • 2007年頃、「キャラクタービジネスで”10億円稼ぐ”」ことを目標にプロジェクトを立ち上げ、「ナニティー」というキャラクターを誕生させる。また、その模様を2年半に亘り追ったドキュメンタリー映画『10億円稼ぐ』では自ら監督を務めた。

話題[編集]

余談[編集]

  • 実家は祖父の代から玉子焼き店『丸武』を営んでおり、長兄・光男が店を継いでいる。テリーがレギュラー出演しているTBS『サンデージャポン』などの番組にこの長兄が「アニー伊藤」の通称でしばしばテレビ出演し、彼を困惑させている。2010年には、「つきじ丸武 玉子焼スイーツ」をプロデュースした。
  • 5人兄弟の末っ子。自身の本籍地は父の出身地である千葉県山武郡横芝光町であり、テリー自身も横芝光町に寿陵(生前墓)を購入している。父の武太郎は彼の父(テリーの祖父)が結婚前に交際していた女性との間の子供で、親戚に預けられて育った後、妻との間に子供がいなかった実父に跡取りとして呼び戻され、築地市場の玉子焼き店で修行した。母親のなみ子(旧姓鳥海)は房総半島の先端にある白間津(現在の南房総市内)で海女の家系に生まれたが、実家が台風に遭い船を失って没落したため、奉公に出た。1936年、武太郎は火事の現場で出会ったなみ子に偶然を装って接近し、交際するようになった。武太郎の父から結婚を反対された為、当初は鳥海家に駆け落ちした(後に武太郎の父から結婚の許しを得た)。戦後しばらくは玉子の入手が困難だったことから、武太郎は玉子焼き店を閉め、知人の伝手で練り物工場に勤めていたが、なみ子の説得で店を再開し今に至っている。
  • 『元気が出るテレビ』や『お笑いウルトラクイズ』などの当時を知るダンカンや浅草キッド曰く、短気な性格で仕事や芸に対しては非常に厳しい姿勢で臨んでいたとのこと。「元気が出る―」では、企画書が「眼差し10秒で秒殺され、テリーさんの怒りと共に会議室に差し戻される日々であった」。
  • ビートたけしとは友人であり、『ビートたけしのオールナイトニッポン』や『北野ファンクラブ』ではテリー伊藤を名乗る以前からIVSの伊藤と名指しでよくネタにされている(著書『幸か不幸か』『幸せ丸十年』などに収録)。そして、たけしについて、「たけしさんって誰よりも男の哀愁があるんだよねぇ。そこに皆惚れてるんだよねぇ……。でもさぁ。俺だけは、たけしさんの哀愁以外だけを演出したいんだよぉ!」とダンカンと水道橋博士の前で語っている。
  • 2008年12月17日、TBS『バラエティーニュース キミハ・ブレイク』の生放送中、赤坂サカス内の特設スケートリンクからの中継終了後に、スケートリンク内で転倒し腰椎の一部を骨折。全治2ヶ月と診断された。
  • 橋幸夫の大ファンであり、「橋幸夫の歌声が聴こえてくると楽しくなってくる。(橋の歌は)どれだけ人生を豊にしてくれたか、夢見たか」として橋を「恋の伝道師」と評している。また、橋のデビュー60周年の記念曲「恋せよカトリーヌ」(2020年7月)の作詞・作曲とプロデュースを行い、ミュージックビデオの監督もしている。
  • 2007年からオリコンが実施している「好きなコメンテーター」ランキングにおいて、07年から08年まで1位を獲得し、09年にも2位、10年にも3位にランクインしている。
  • 『週刊文春』2013年11月7日号で妻とは長らく別居し、20年以上不倫関係にある女性がいると報じられた。
  • ソフト・オン・デマンドは、元「石油安売り王」と呼ばれた佐藤太治 が日本ビデオ販売(ビデオ安売王)を運営中に設立(資本比率 佐藤:75%、テリー伊藤:25%)したビデオ制作会社であった、テリー伊藤が企画に加わった「全裸シリーズ」が大ヒットし、年商20億円に達した。しかし、日本ビデオ販売は倒産。佐藤は違法行為で逮捕される。佐藤によれば、逮捕後即、テリー伊藤が動き出す。佐藤が収監中に減資の手法を利用してソフト・オン・デマンドの乗っ取りに着手。専業主婦でしかなかった佐藤夫人に弁護士を利用した上で言葉巧みに取り入り、佐藤の持ち株を安価で買い取るとSODの著作物を一旦別会社であるハムレットビデオに移管し、SODを空箱化すると最終的に株主比率33.3%となった佐藤から、全株を6億2000万円という安価で取得し、乗っ取った後で再度SODに戻す手法で、100%合法的な乗っ取りに成功した。佐藤は、企業乗っ取り自体は否定しないが、「恩人」である佐藤の収監中に何も知らない一主婦を騙すような手法で乗っ取ったことを自身のYouTube動画内で強く批判している。
  • プロ野球・読売ジャイアンツファン。そして熱狂的な長嶋茂雄ファンであり、その思いは巨人よりも長嶋個人に向けられている。その一方で他球団に対しては冷淡で、2003年には「阪神タイガースが優勝したら、阪神模様のタイツに身を包み、街中を練り歩く」「ジャイアンツが優勝を逃し、阪神が優勝したら潔く腹を切る」という公約をする。その後阪神が優勝してしまったため、同年9月17日に東京・お台場のデックス東京ビーチ周辺を『六甲おろし』を歌いながら練り歩く羽目になった。尚、切腹はしていない。
  • 佐々木希の熱烈なファンで、早くから彼女に注目していたと公言し、たっての願いで2008年に『スッキリ!!』への出演を実現させた。しかし、テレビ収録を忘れ興奮気味に佐々木の魅力などを語っていたため、当の本人は引いていた。
  1. 2024年5月