X JAPAN
X JAPAN(エックス・ジャパン)/旧称:X(エックス)
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2014年のニューヨーク・コミコンに登場したX JAPAN(出典:ウィキメディア・コモンズ、May S. Young撮影、CC BY-SA 2.0)
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2011年9月、ブラジル・サンパウロ公演のX JAPAN(出典:ウィキメディア・コモンズ、Julio Fugimoto撮影、CC BY-SA 2.0)
略称 X、エックス、Xジャパン
国家 日本
ジャンル ロック、ヘヴィメタル、スピードメタル、バラード、ヴィジュアル系
デビュー 1989年4月21日
年齢 37周年
デビューアルバム BLUE BLOOD(メジャー)/Vanishing Vision(インディーズ、1988年)
ラストアルバム DAHLIA(1996年、最後のオリジナルアルバム)
レーベル Extasy Records、CBS・ソニー、キューンソニー、east west japan、ポリドール、ワーナーミュージック・ジャパン ほか
関連活動 1997年解散・2007年再結成、NHK紅白歌合戦出場、マディソン・スクエア・ガーデン公演(2014年)、ウェンブリー・アリーナ公演(2017年)、コーチェラ出演(2018年)、ドキュメンタリー映画『We Are X』
リーダー YOSHIKI
メンバー
YOSHIKI(ドラム・ピアノ)、Toshl(ボーカル)、PATA(ギター)、HEATH(ベース、2023年死去)、SUGIZO(ギター・ヴァイオリン、2009年加入)
旧メンバー
hide(ギター、1998年死去)、TAIJI(ベース、1992年脱退・2011年死去)
リンク 公式サイト

概要[編集]

X JAPAN(エックス・ジャパン)とは、1982年に千葉県館山市で結成された日本のロックバンドである。旧称は「X」。激しいメタルと美しいバラードを両立させた音楽性、派手なメイクと衣装で「ヴィジュアル系」というジャンルの礎を築いた。1997年に解散、2007年に再結成した。

詳細[編集]

館山の幼なじみ2人から始まった[編集]

X JAPANの物語は、千葉県館山市で育ったYOSHIKIとToshl(当時の表記はTOSHI)の2人から始まる。2人は幼稚園からの幼なじみで、小学校高学年の頃にはアメリカのハードロックバンド・KISSの話で盛り上がり、「いつか一緒にバンドを組もう」と約束していた間柄だった。ちなみに11歳でバンドを始めた当初は、YOSHIKIがボーカル、Toshlがギターという今とは逆のポジションだったという。

1982年、高校2年生のときに正式にバンド「X」を結成。バンド名は「いい名前が思いつかないから、とりあえず仮で」という軽いノリで付けられたものだったが、YOSHIKIは後に「X」には「無限の可能性」という意味がある、と語っている。インディーズ時代はメンバーの出入りが非常に激しく、脱退者は20人を超えたとされる。

インディーズ時代から異例の快進撃[編集]

1984年、YOSHIKIは音楽大学の受験を捨ててロックの道を選び、Toshlとともに上京。1985年6月にDada Recordsから1stシングル「I'LL KILL YOU」をリリースした。1986年にはYOSHIKIが自らインディーズレーベルExtasy Recordsを設立し、同じ頃に美容師を目指していたhideを口説き落としてバンドに引き入れている。

1988年4月にインディーズでの1stアルバム『Vanishing Vision』を発売すると、発売1週間で約1万枚を売り上げた。インディーズとしては異例の数字で、メジャーレーベル各社がXを奪い合う状況になっていく。この頃、ライブで観客が両腕を頭上で交差させて跳ぶ名物「Xジャンプ」も誕生した。

メジャーデビューと「ヴィジュアル系」の誕生[編集]

1989年4月21日、アルバム『BLUE BLOOD』でCBS・ソニーからメジャーデビュー。オリコン初登場6位を記録し、1989年だけで約60万枚を売り上げた。当時はトップクラスのロックバンドでも10万枚売れれば上出来と言われた時代で、まさに桁違いのヒットだった。

逆立てた髪、濃いメイク、レザーや派手な衣装、そしてドラムセットを破壊するかのような過激なライブ。Xが掲げたキャッチコピー「PSYCHEDELIC VIOLENCE CRIME OF VISUAL SHOCK」は、後に「ヴィジュアル系」というジャンル名の語源の一つになったとされる。Xがいなければ、1990年代以降の日本のバンドシーンは今とはまったく違う形になっていたかもしれない。

メンバー[編集]

YOSHIKI(ドラム・ピアノ)[編集]

リーダーで、ほぼすべての代表曲の作詞・作曲を手がける。1965年11月20日生まれ、館山市出身。4歳からピアノを習い、11歳でドラムを始めた。ステージでは爆走するツーバスドラムと、クラシック仕込みのピアノを1人でこなす二刀流。激しいドラムプレイの代償として長年首を痛めており、2009年、2017年、2024年と3度にわたって頸椎の手術を受けている。Extasy Records創設者として後進のバンドを多数世に送り出したプロデューサーでもある。YouTubeチャンネルについてはYoshikiも参照。

Toshl(ボーカル)[編集]

1965年10月10日生まれ、館山市出身。YOSHIKIの幼なじみで、高音域まで突き抜けるハイトーンボイスがXサウンドの顔。1997年4月に脱退を表明し、これが解散の直接のきっかけとなった。2010年2月に表記を「TOSHI」から「Toshl」に変更。2014年には自身の過去を綴った著書『洗脳 〜地獄の12年からの生還〜』を出版した。近年はカバーアルバム『IM A SINGER』(2018年)がオリコン4位を記録するなどソロでも存在感を発揮し、「龍玄とし」名義での活動も行っている。

hide(ギター)[編集]

1964年12月13日生まれ、神奈川県横須賀市出身。1987年に加入した。加入前は美容師を目指しており、YOSHIKIの熱心な誘いでバンドに専念することになった。派手なピンクの髪と奇抜なファッションで「ヴィジュアル系」のアイコン的存在となる一方、ソロでも『HIDE YOUR FACE』(1994年)や『Ja,Zoo』(1998年)を発表し、hide with Spread Beaver、海外ミュージシャンと組んだzilchなどでも活動した。1998年5月2日、33歳で急逝。

PATA(ギター)[編集]

1965年11月4日生まれ、千葉県出身。リズムギターを担当し、どんな難曲も涼しい顔で弾きこなす職人肌のギタリスト。ギターを始めたきっかけは妹が持っていたギターを弾いてみたことだったという。読売ジャイアンツの大ファンとしても知られる。2016年2月には病気で入院し、一時活動を離れたが、翌月には回復している。

HEATH(ベース)[編集]

1968年1月22日生まれ、兵庫県尼崎市出身。1992年、TAIJIの脱退を受けて加入した。hideに誘われてセッションに参加したことが加入のきっかけで、プライベートをほとんど明かさないミステリアスなベーシストとして知られた。2023年10月29日、55歳で死去。

SUGIZO(ギター・ヴァイオリン)[編集]

1969年7月8日生まれ、神奈川県秦野市出身。LUNA SEAのギタリストで、2009年5月に「6人目のメンバー」として正式加入した。両親がオーケストラ奏者という音楽一家に育ち、3歳からヴァイオリンを習っていた。ギターとヴァイオリンを曲ごとに持ち替えるスタイルで、再結成後のX JAPANサウンドに新しい色を加えている。

TAIJI(ベース)[編集]

1966年7月12日生まれ、千葉県市川市出身。初期の1985年と1986年〜1992年にベースを担当し、『BLUE BLOOD』『Jealousy』期の黄金期を支えた。1992年1月に脱退し、その後はLOUDNESSなどで活動した。2011年7月17日死去。

黄金期(1989〜1997年)[編集]

東京ドームの申し子[編集]

1991年7月1日発売の2ndメジャーアルバム『Jealousy』は、オリコン1位を獲得。同年8月23日には初の東京ドーム公演を成功させた。さらに1992年1月5日〜7日には、日本人アーティスト初となる東京ドーム3日間連続公演を開催し、計約12万人を動員している。以降、X JAPANにとって東京ドームはホームグラウンドのような場所となり、年末のドーム公演はファンにとって恒例行事となった。

TAIJI脱退と「X JAPAN」への改名[編集]

1992年1月、ベースのTAIJIが脱退。公式には「音楽性・ファッションの違い」と説明されたが、後にYOSHIKI側・TAIJI側の双方が異なる経緯を語っており、真相をめぐってファンの間でも長く議論が続いた。

同年8月24日、アメリカ合衆国に同名のバンド「X」が存在していたことから、海外進出を視野に「X JAPAN」へ改名。この発表はニューヨークのロックフェラー・センターで行われ、同時に新ベーシストとしてHEATHの加入も発表された。

29分の大作『ART OF LIFE』と『DAHLIA』[編集]

1993年8月には、YOSHIKIが長年こだわり抜いた約29分に及ぶ1曲だけのアルバム『ART OF LIFE』をリリース。レコーディングは難航を重ねたが、クラシックとメタルを融合させたYOSHIKIの集大成として今も語り継がれている。

1996年11月4日には最後のオリジナルアルバム『DAHLIA』を発売し、オリコン1位を獲得した。全10曲のうち6曲がシングル既発曲という構成だったが、それだけ当時のシングルがヒットしていたということでもある。

解散とhideの死[編集]

1997年4月、Toshlが音楽性の違いを理由に脱退を表明。YOSHIKIは「Toshl以外のボーカルは考えられない」として、同年9月22日にX JAPANの解散を発表した。

1997年12月31日、東京ドームで解散公演「THE LAST LIVE〜最後の夜〜」を開催。その足で『第48回NHK紅白歌合戦』に出演し、このステージがX JAPANとしての最後の姿となった。

それから約4か月後の1998年5月2日、hideが33歳で急逝。ソロとして飛躍の真っ只中にあった中での突然の訃報は日本中に衝撃を与え、残されたメンバーにとっても大きな喪失となった。再結成の話題が長らく持ち上がらなかったのは、この出来事の影響が大きかったとされる。

再結成と世界進出[編集]

2007年、「攻撃再開」[編集]

2007年10月22日、X JAPANの再結成が正式に発表された。2008年1月23日には新曲「I.V.」をリリース。この曲ではhideのギターパートがデジタル処理によって使われ、ミュージックビデオではhideの立ち位置にマイクスタンドとギターが置かれた。「hideも世界に連れて行く」という思いが込められていたという。2008年3月28日〜30日には東京ドーム3日間公演「攻撃再開」を開催し、ステージにはhideの映像も登場した。

2009年5月にはSUGIZOが正式加入。2010年8月の横浜公演では、TAIJIがスペシャルゲストとして登場し、1992年の脱退以来となる共演が実現した。しかしTAIJIは翌2011年7月17日に死去しており、これが最後の共演となった。

世界ツアーとマディソン・スクエア・ガーデン[編集]

2011年6月にはシングル「JADE」をリリースし、ヨーロッパツアーを開始。さらに南米・アジアも回るワールドツアーを展開した。

2014年10月にはニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで単独公演を開催し、約1万5,000人を動員した。同年12月には『ミュージックステーション スーパーライブ』に出演し、約17年ぶりのテレビ出演として大きな話題を呼んだ。2014年6月には初の全世界ベストアルバム『THE WORLD〜X JAPAN初の全世界ベスト〜』も発売している。

ウェンブリーとコーチェラ[編集]

2016年1月には、X JAPANとYOSHIKIの半生を追ったドキュメンタリー映画『We Are X』(監督:スティーヴン・キジャック)がサンダンス映画祭で上映され、編集賞を受賞。日本では2017年3月3日に公開された。

2017年3月4日にはロンドンのウェンブリー・アリーナで公演。そして2018年4月には、アメリカ最大級の音楽フェス「コーチェラ・ヴァレー・ミュージック・アンド・アーツ・フェスティバル」に出演し、「X」の演奏時にはhideとTAIJIがホログラムで登場する演出も行われた。海外メディアからも高い評価を受けたステージとなった。2018年9月には幕張メッセで3日間の公演を行っている。

紅白歌合戦との深い縁[編集]

X JAPANはNHK紅白歌合戦とのつながりが深いバンドとしても知られる。1991年の第42回で初出場を果たし、1990年代前半にかけて出場を重ねた。1997年の第48回は解散公演当日の出演で、文字通り「X JAPAN最後のステージ」となった。

再結成後は2015年の第66回で18年ぶりに紅白へ復帰し、「紅白スペシャルメドレー 〜We are X!〜」を披露。2016年の第67回では代表曲「紅」、2017年の第68回では「ENDLESS RAIN」と「紅」を披露し、3年連続出場となった。2017年は5月に頸椎の手術を受けたYOSHIKIの復帰ステージでもあり、本人は事前に「感謝の気持ちを込めて1年の締めくくりのステージを全身全霊でやりたい」とコメントしていた。

音楽性と代表曲[編集]

X JAPANの最大の特徴は、超高速のツーバスドラムが炸裂するスピードメタルと、ピアノとストリングスを前面に出した壮大なバラードという、正反対の2つを同じバンドが高い完成度でやってのける点にある。この振り幅を生み出しているのが、クラシックの素養とメタルの破壊力を併せ持つYOSHIKIの作曲センスだ。

代表曲には次のようなものがある。

  • 紅(くれない) - Xの代名詞ともいえる疾走系ナンバー。英語の語りから始まり、一気に爆発する展開でライブ・紅白の定番曲。
  • ENDLESS RAIN - 雨をテーマにしたピアノバラード。ライブでは観客の大合唱が恒例。
  • Silent Jealousy - 『Jealousy』収録の、ピアノとメタルが融合した代表曲。
  • Say Anything、Tears、Forever Love - 長尺のバラード群。2026年のYOSHIKIのロサンゼルス公演では、Forever Loveをジョシュ・グローバンが日本語で歌った。
  • Rusty Nail、CRUCIFY MY LOVE、SCARS - 1990年代中盤を彩ったヒット曲。
  • JADE、BORN TO BE FREE、Angel - 再結成後の楽曲。

トータルセールスは3,000万枚以上とされ、Extasy Recordsからは後にLUNA SEAやGLAYといったバンドも作品を発表している。L'Arc〜en〜CielやHYDE、MIYAVIなど、後続のヴィジュアル系・ロックアーティスト、ひいてはJ-POPシーン全体への影響も計り知れない。

現在の動向[編集]

2018年以降の活動休止状態[編集]

2018年9月の幕張メッセ公演を最後に、X JAPANとしての本格的なライブは行われていない。2019年2月にはYOSHIKIが、10年以上制作が続いていた新アルバムについて「実は完成している」と発言したものの、2026年現在まで発売には至っていない。

2023年7月28日には、約8年ぶりとなる新曲「Angel」をリリース。もっとも、この曲は2015年の時点でライブ披露済みの楽曲でもあった。そして同年10月29日、ベースのHEATHが55歳で死去。メンバーとファンに再び大きな悲しみが訪れた。

YOSHIKIとToshl[編集]

近年は、YOSHIKIとToshlの関係もたびたび話題になっている。2024年8月、YOSHIKIは自身のX(旧Twitter)でToshlに向けて「話し合いしない?」と呼びかけ、大きな反響を呼んだ。2025年10月10日のToshlの60歳の誕生日には、YOSHIKIがSNSで「各自にいろいろとあるけど、節目になる大事な日。Toshlにとって素敵な一年になるように祈ってるよ」と祝福のメッセージを送っている。

YOSHIKIの手術と復活[編集]

YOSHIKIは2024年10月にロサンゼルスで3度目の頸椎手術を受け、多くのスケジュールをキャンセルした。手術後には「大丈夫だよ」とファンに生報告している。その後リハビリを経て、2026年7月にはロサンゼルスのウォルト・ディズニー・コンサートホールで「YOSHIKI CLASSICAL 2026」公演を開催。オーケストラとともに「紅」や「Forever Love」を披露し、ジョシュ・グローバンやKornのジョナサン・デイヴィスらと共演した。終演時には「皆さんのおかげで僕はここにいる」と声を震わせながら感謝を伝えたと報じられている。

炎上とバズ[編集]

  • TAIJI脱退をめぐる食い違い - 1992年のTAIJI脱退は、公式発表とは別に、YOSHIKIとTAIJIの双方がそれぞれ異なる経緯を語ったことで長年議論の的となった。
  • Toshlの『洗脳』告白 - 2014年、Toshlが自身の著書で約12年にわたる苦しい時期を告白。X JAPAN解散前後の裏側が本人の口から語られたことで、大きな反響を呼んだ。
  • 「新アルバム、いつ出るの?」問題 - 再結成以降たびたび「もうすぐ」と言われながら発売に至っていない新アルバムは、ファンの間ではもはや半分ネタとして語られている。
  • コーチェラで海外を圧倒 - 2018年のコーチェラ出演は海外メディアからも絶賛され、日本のロックバンドの存在感を世界に示したとしてSNSで大きくバズった。
  • 「話し合いしない?」 - 2024年8月のYOSHIKIのToshlへの呼びかけポストは、2人の関係修復を願うファンの間で一気に拡散された。

余談[編集]

  • YOSHIKIの公式Xアカウントでは、YOSHIKIデザインのクレジットカードを紹介する投稿が長らく固定ポストになっており、ファンの間ではおなじみの光景となっている。
  • バンド名「X」は、もともと「いい名前がないので仮に付けた」ものだったとされる。
  • YOSHIKIとToshlは、小学生の頃からKISSの話をしていた幼なじみ。その2人が組んだバンドが、後に本家KISSと同じくメイクで世界に打って出ることになったのは、なかなか運命的である。
  • 公式YouTubeチャンネルについてはX Japan Officialを参照。YOSHIKIはInstagramでの発信にも積極的で、2024年7月には未発表曲の一部を「World Tour?」という言葉とともに投稿し、ファンをざわつかせた。
  • hideの加入前の夢は美容師。YOSHIKIの説得がなければ、日本のロック史はまったく違うものになっていたかもしれない。
  • 再結成後のライブやコーチェラなどでは、hideの映像やホログラムがステージに登場する演出がたびたび行われており、「メンバーは今も一緒にステージに立っている」というバンドの姿勢を象徴している。

外部リンク[編集]

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