| 長谷川潔 Hasegawa Kiyoshi | |
|---|---|
| 誕生日 | 1891年12月9日 |
| 死亡日 | 1980年12月13日 |
| 死亡年齢 | 89歳 |
| 出身地 | 神奈川県横浜市 |
| 国籍 | 日本 |
| 職業 | 版画家 |
| 活動期間 | 1910年代〜1980年 |
| 代表的な実績 | マニエール・ノワール(メゾチント)の復興。レジオン・ドヌール勲章 |
概要[編集]
長谷川潔(はせがわ きよし、1891〜1980)は、日本が生んだ世界的な銅版版画家。「黒の魔術師」の異名を持ち、忘れられかけていた古典技法マニエール・ノワール(メゾチント)を独自に復興させ、深く吸い込まれるような黒の世界を確立した。1918年に渡仏してから一度も帰国せず、パリで生涯を全うしたという生き方もまた強烈だ。フランスでレジオン・ドヌール勲章まで受けた、まさに国際派の巨匠である。
横浜からパリへ[編集]
横浜に生まれた長谷川は、若くして木版や銅版に親しみ、日本の創作版画運動の黎明期に身を置いた。そして1918年、27歳でフランスへ渡る。翌1919年にパリへ到着すると、健康回復のため南フランスに数年滞在しながら、ひたすら銅版画の技法を磨いた。以後、彼の人生はフランスとともにあった。
黒の魔術・マニエール・ノワール[編集]
長谷川の名を不滅にしたのがマニエール・ノワール(メゾチント)である。これは17世紀オランダで生まれた技法で、銅板全面に細かい目立てを施してから磨き出すことで、漆黒から銀色までの無限の階調を生み出すもの。当時フランスでも挑む者がほとんどいなかったこの古典技法を、長谷川は苦心の末に復興させ、交差線による独自の手法まで編み出して近代的な表現へと甦らせた。
画家デュフィの勧めで独立美術家・版画家協会に加わり、1925年にはパリで初個展。静物、植物、小鳥などを題材に、静謐で精神性の高い小宇宙を彫り続けた。
フランスが愛した日本人[編集]
その仕事はフランスで高く評価され、1934年にレジオン・ドヌール勲章、1964年にフランス芸術院コレスポンダン会員、1966年にはフランス文化勲章と、栄誉が次々に贈られた。日本人版画家としては異例の厚遇である。それでも長谷川は驕ることなく、パリのアトリエで黙々と銅板に向かい続けた。
帰らざる人[編集]
渡仏してから半世紀以上、長谷川は一度も日本の土を踏むことなく、1980年にパリで89年の生涯を閉じた。祖国を遠く離れながら、日本的な静けさと精神性を黒の中に込め続けたその作品は、今なお町田市立国際版画美術館などで多くのファンを惹きつけている。