| 平塚運一 Hiratsuka Un'ichi | |
|---|---|
| 誕生日 | 1895年11月17日 |
| 死亡日 | 1997年11月18日 |
| 死亡年齢 | 102歳 |
| 出身地 | 島根県八束郡津田村(現在の松江市) |
| 国籍 | 日本 |
| 職業 | 版画家 |
| 活動期間 | 1910年代〜1990年代 |
| 代表的な実績 | 創作版画運動の先駆。棟方志功らの指導 |
概要[編集]
平塚運一(ひらつか うんいち、1895〜1997)は、近代日本の版画を語るうえで外せない木版画家。「自画自彫自摺(じがじちょうじずり)」——つまり下絵から彫り、摺りまで全部ひとりでやる創作版画運動の先駆者であり、白と黒のコントラストが冴えわたる力強い作風で知られる。なんと102歳まで生きた超長寿の巨匠でもあり、その生涯はほぼ日本近代版画の歴史そのものだった。
創作版画の伝道師[編集]
島根県の津田村(現・松江市)に生まれた平塚は、石井柏亭や山本鼎といった創作版画運動の先輩たちに学び、版画家の道へ進む。当時の版画はまだ「絵師・彫師・摺師の分業」が当たり前だったが、平塚は作者がすべての工程を一人で担う「自画自彫自摺」こそ芸術だと考え、その普及に生涯を捧げた。版画の技法書も多数出版し、版画の先生として絶大な影響を与えている。
棟方志功を育てた男[編集]
平塚の功績で特に大きいのが後進の育成だ。1927年ごろから、まだ無名だった棟方志功を指導。1928年には棟方や畦地梅太郎らと版画雑誌『版』を創刊した。世界のムナカタを版木の前に座らせたのは平塚なのである。ほかにも北岡文雄など、日本を代表する版画家たちが平塚の薫陶を受けた。
黒と白の力[編集]
平塚自身の作品は、黒と白の強烈なコントラストが身上。寺社建築や風景、力感あふれる裸婦などを、彫りの鋭さをそのまま生かして表現した。余白の白と彫り残しの黒が画面でせめぎ合う様子は、いかにも木版ならではの迫力に満ちている。
海を渡った長寿の巨匠[編集]
1960年代には活動の拠点をアメリカ・ワシントンに移し、長く海外で制作と指導を続けた。晩年に帰国し、1997年に102歳で大往生。生まれ故郷の松江には平塚の作品を伝える施設もある。一世紀を超えて版木を彫り続けた、まさに日本版画界のレジェンドである。
余談[編集]
- 海外でも教鞭をとったため、アメリカにも多くの弟子・愛好家を残した。
- 同時代にパリで活躍した長谷川潔が銅版(黒の魔術師)なら、平塚は木版の求道者。和洋の版画の両極を体現する二人といえる。