辰巳柳太郎

辰巳柳太郎
Tatsumi Ryūtarō
本名 新倉武一
誕生日 1905年4月20日
死亡日 1989年7月29日
死亡年齢 84歳
出身地 兵庫県赤穂郡坂越村
国籍 日本
職業 俳優
肩書 新国劇の双璧
活動期間 1927年 - 1989年
代表的な実績 「国定忠治」「王将」「無法松の一生」


概要[編集]

辰巳柳太郎(たつみ りゅうたろう、1905年 - 1989年)は、新国劇を代表した昭和の名優。本名は新倉武一。豪放磊落な芸風で、内省的な島田正吾とともに「新国劇の双璧」と称された。《国定忠治》の「赤城の山も今宵かぎりか」の名啖呵で知られる、剣劇の申し子のような役者だったらしい。

生い立ち[編集]

兵庫県赤穂郡坂越村(現・赤穂市)に生まれた辰巳は、少年期に養子に出されたが養家を13軒も転々とするという波乱の幼少期を過ごしたという。商業学校を中退後の1919年、小林一三が国民劇創設のためにつくった「男子養成会」の創設メンバーとして宝塚入りした。

新国劇入団と大抜擢[編集]

1927年(昭和2年)、沢田正二郎の魅力に惹かれて新国劇への入団を許され、芸名を辰巳柳太郎と改めた。ところが1929年、沢田正二郎が36歳で急死すると、辰巳は島田正吾とともに沢田の後継者として大抜擢される。豪放な辰巳と内省的な島田という対照的な二枚看板で、新国劇の屋台骨を支えることとなった。

当たり役[編集]

辰巳は豪快で熱量あふれる芸風を武器に、数々の当たり役を生み出した。《国定忠治》をはじめ、《月形半平太》、宮本武蔵、《大菩薩峠》の机竜之助、《王将》の坂田三吉、《無法松の一生》の松五郎などが知られる。剣劇のスピード感と人情味を併せ持つ舞台は、戦前・戦後を通じて大衆の絶大な支持を集めた。

映画・テレビ[編集]

戦後は映画界にも進出し、1949年に《どぶろくの辰》で初出演して以降、島田正吾とたびたび銀幕で共演した。テレビ時代劇でも存在感を発揮し、新国劇の名を全国に知らしめた。1989年(平成元年)7月29日に没。盟友・島田より15年早く、その豪放な生涯を閉じた。

関連項目[編集]