Kazumi Morohoshi
もろほし かずみ
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ボートレース尼崎のG1開催で「パラダイス銀河」を歌う諸星和己(2018年7月。出典:デイリースポーツ)
本名 諸星和己
誕生日 1970年8月12日
年齢 56歳
出身地 静岡県富士市
国籍 日本
身長 169cm
職業 歌手、俳優、タレント
肩書 元光GENJIメンバー(センター)、PINK A ROCK RECORDS主宰
活動期間 1984年 -
代表的な実績 光GENJI「STAR LIGHT」「ガラスの十代」「パラダイス銀河」(1987年 - 1988年)、ソロシングル「一匹狼 LONELY WOLF」(1994年)、「なぁ」(2007年、オリコン週間インディーズ1位)、ミュージカル『キャバレー』(2010年・2012年)、映画『鷲と鷹』主演(2014年)
受賞 日本レコード大賞(1988年、光GENJIとして「パラダイス銀河」)
事務所 ジャニーズ事務所(1984年 - 1995年)→ 独立
ファンクラブ Pin,K
関連活動 光GENJI、初代GENJI
あだ名 かーくん、かぁくん
その他 光GENJI時代のメンバーカラーはピンク。2020年からハワイを拠点に活動
リンク 諸星和己オフィシャルウェブサイト、公式ブログ(Ameba)


概要[編集]

諸星和己(もろほし かずみ、1970年8月12日 - )とは、静岡県富士市出身の歌手・俳優・タレントで、1980年代後半に社会現象を起こしたアイドルグループ光GENJIの元メンバーである。愛称は「かーくん」。ローラースケートで滑るグループのセンターとして人気を独占し、1995年の解散と同時に事務所を離れて独立。現在はハワイを拠点に、日本でのライブとバラエティでの「ぶっちゃけトーク」で存在感を放っている。

詳細[編集]

光GENJIの「顔」だったかーくん[編集]

光GENJIは年長の「光」2人と年少の「GENJI」5人の合体ユニットだが、その中心にいたのが諸星だった。メンバーカラーはピンク。ステージではほぼ常にセンターに立ち、明るいキャラクターと屈託のない笑顔で、7人の中でも知名度・人気ともにトップクラスとされた。1990年ごろまでは頭にバンダナを巻き、羽根飾りを付けるという、今見るとかなり攻めた衣装もトレードマークだった。

センターを任された理由について、本人は後年テレビで「転ぶから」と冗談めかして語ったと報じられている。ローラースケートで滑りながら踊る光GENJIのステージは常に転倒と隣り合わせで、真ん中なら転んでも周りがカバーできる、という理屈である。真偽はともかく、本人の口から出るとそれっぽく聞こえてしまうのがかーくんらしさといえる。

「ビッグマウス」とぶっちゃけキャラ[編集]

10代のころから歯に衣着せぬ物言いで知られ、「ビッグマウス」と呼ばれていたとされる。独立後もその芸風は変わらず、2009年の舞台会見では「ショーン・ペンよりオレの方が上」と言い放ち、2011年には「寄って来られすぎて結婚できない」と自分のモテ話で記者を笑わせた。Kis-My-Ft2がローラースケートを履いてCDデビューした際も「元祖はオレたち」と即答している。

一方で、2017年にテレビ朝日系『ロンドンハーツ』に出演した際は、この「ぶっちゃけキャラ」のイメージに実は苦しんでいると告白。司会のロンドンブーツ1号2号・田村淳は、諸星がビートたけしと志村けんの間のお金のトラブルを解決したという逸話をいたく気に入っていた。毒舌のイメージとは裏腹に、大物芸人たちに可愛がられる人懐っこさも持ち合わせている。

独立組の先駆け[編集]

1995年、光GENJI解散と同時にジャニーズ事務所を離れた。内海光司と佐藤アツヒロが事務所に残ったのに対し、諸星は個人で活動する道を選んだ。当時、事務所を辞めた人気アイドルがテレビで活躍し続けるのは極めて難しいとされた時代で、諸星自身も後年「仕事がねえ、収入ねえ」と自虐ネタにしている。

それでも、2000年に自主レーベル「PINK A ROCK RECORDS」を立ち上げ、ファンクラブ「Pin,K」向けのCDを毎年制作するなど、ファンと直接つながるスタイルで30年以上活動を続けてきた。ライブハウスツアー、ディナーショー、競輪・競艇場や商業施設でのイベントと、全国を回る現場主義が現在の主戦場である。

ハワイ在住の56歳[編集]

2020年8月12日、50歳の誕生日にAmebaで公式ブログを開設し、ハワイに住んでいることを公表した。初回から自分の髪の生え際をドアップで撮った写真を載せ、ハナウマ湾近くの岩場でヨガをする姿には「どっかの宗教の偉い人みたい」と自分でツッコミを入れるなど、相変わらずのセルフプロデュース力を見せた。

日焼けした肌にラフな服装というハワイ仕様の近影は、たびたびネットで「別人すぎる」「若々しい」と話題になる。2026年にも名古屋でのトークライブの写真が拡散され、「還暦まであと少しなのに若い」という声と「誰かわからない」という声が入り混じる“バズ”を起こした。

経歴[編集]

生い立ちとジャニーズ入所(1970年 - 1986年)[編集]

1970年8月12日、静岡県富士市に生まれる。1984年5月、中学生のときに家出同然で上京し、その後ジャニーズ事務所に入所した。地元・富士市とのつながりは現在も続いており、富士ブランドに認定された「かーくんプロデュース食べるラー油」という商品にも関わっている。

ジャニーズJr.時代については、のちに工藤静香の通う高校まで会いに行ったという武勇伝が芸能記者の証言として語られている(後述の余談参照)。真偽はともかく、10代半ばから物怖じしない性格だったことをうかがわせるエピソードである。

初代GENJIから光GENJIへ(1987年)[編集]

1987年3月25日、田代秀高・佐藤寛之・佐藤敦啓(現・佐藤アツヒロ)とともに4人組の「初代GENJI」を結成。田代の脱退と山本淳一・赤坂晃の加入を経て5人組となり、同年6月25日、内海光司・大沢樹生の「光」と合体して光GENJIが誕生した。

8月19日、チャゲ&飛鳥(現・CHAGE and ASKA)が手がけた「STAR LIGHT」でレコードデビュー。続く「ガラスの十代」「パラダイス銀河」も飛鳥涼の作詞作曲で、3曲連続オリコン1位を獲得した。諸星はこの黄金期のセンターとして、ローラースケートで滑りながら歌う姿で一躍時代の顔になった。

社会現象の中心で(1988年 - 1993年)[編集]

1988年はオリコン年間シングルランキング1位から3位を光GENJIが独占し、「パラダイス銀河」で第30回日本レコード大賞を受賞。同じ夜にNHK紅白歌合戦にも初出場した。日本武道館での握手会、バレンタインのチョコの山、登下校に押し寄せるファンと、熱狂ぶりは前代未聞だった。

のちに諸星は、武道館のバレンタイン握手会で積み上げられたチョコについて「(武道館の)2階の席から手を伸ばして取りました」とテレビで振り返っている。グループ活動と並行して俳優業にも進出し、1988年の映画『ふ・し・ぎ・なBABY』などに出演。1991年にはミュージカル『GOLDEN BOY』で初主演を果たした。

ソロデビューと解散(1994年 - 1995年)[編集]

1994年、シングル「一匹狼 LONELY WOLF」「ECSTACY」とアルバム『RA・KU・GA・KI』でソロ活動をスタートし、初のソロコンサートも開催した。同年8月には大沢樹生・佐藤寛之がグループを脱退し、光GENJIは5人体制の「光GENJI SUPER 5」に移行している。

この1994年8月には、ビートたけしが東京・新宿区でバイク事故を起こした現場に居合わせ、血まみれのたけしを最初に見つけて通報したのが諸星だった。2014年、たけし本人がロケ中に「オレのことを諸星が見つけてくれたんだよな」と語ったことが付き人のブログで明かされ、改めて話題になった。

1995年9月3日、光GENJIは名古屋での公演を最後に解散し、諸星は事務所を退所した。2016年のカンテレ『胸いっぱいサミット!』では、解散は自分から切り出したと明かし、「一人で活動して、イメージチェンジやセルフプロデュースをしたかったが、グループの中ではそれが認められなかった」と理由を語っている。

独立とニューヨーク時代(1995年 - 2005年)[編集]

独立直後には、ビートたけし率いるたけし軍団に入団したこともあった。ところが、たけしから与えられた芸名は「そのまんまモロ」。そのまんま東(東国原英夫)と同じ系統の名前に抵抗し、次に提案された「諸 モロ出し」も「3日前までスーパーアイドルだった」として拒否。結局、在籍わずか3日で退団した。このエピソードは2017年の『ロンドンハーツ』で東国原本人から暴露されている。

その後はプロボクサー辰吉丈一郎に入場曲を提供するなど活動の幅を広げ、やがてニューヨークに拠点を移した。2001年9月の同時多発テロを現地で経験し、日本のテレビ局からの中継出演依頼を一度は断ったものの、最終的に出演して現地の様子を伝えたという。2001年から2002年にかけては情報番組で「Be New Yorker」のコーナーも担当した。

2000年には自主レーベル「PINK A ROCK RECORDS」を設立。2003年にアルバム『shake』を一般発売し、2004年には「Real Action」「Nine Ball」「SAD SOUND」の3作のシングルを発表。同年、自伝的な著書『くそ長〜いプロフィール』を出版した。

舞台とインディーズ1位(2006年 - 2013年)[編集]

2006年には沖縄テレビで冠番組『諸星和己のうちばら』を持ち、2007年のシングル「なぁ」がオリコン週間インディーズランキング1位を獲得。同年には『諸星和己のスロースタイル・ダイエット〜PLAY WORK〜』も出版している。

舞台では2008年の『マッスルミュージカル』を経て、2009年の『EVIL DEAD THE MUSICAL〜死霊のはらわた〜』で独立後初のミュージカル主演。2010年と2012年には藤原紀香と共演した『キャバレー』、2012年には『走れメロス』に出演した。

2011年3月には佐藤寛之・山本淳一とライブで共演し、解散後初めて3人でローラースケートを履いて往年の曲を披露。TUBEの前田亘輝による東日本大震災チャリティープロジェクト「RESTART JAPAN」にも3人で参加した。同年12月には、吉幾三の1984年のヒット曲の続編にあたるシングル「俺らなんにもね〜」を発売。ニューヨークの居酒屋で吉の曲を聴いて感銘を受け、7年がかりで本人を口説き落としたという。

大沢樹生との共演と元メンバーの交流(2014年 - 2019年)[編集]

2014年、大沢樹生が監督した映画『鷲と鷹』で主演。正反対の道を歩む親友役での共演は「元光GENJIの2人がタッグ」と注目を集めた。2016年には大沢とディナーショーも開催している。同年、TBS『クイズ☆スター名鑑』のローラースケート企画では、諸星・大沢・山本・佐藤寛之の4人がそろって登場した。

2015年には3年半ぶりの新曲「あさきゆめみし」を発売。2016年5月には地元・静岡の静岡競輪場でトークショーとミニライブを行い、「森(且行)は俺の影武者だった」と発言するなど、イベントでもトークの切れ味は健在だった。2017年には吉本芸人による「光GEININ」と幕張の野外フェスでコラボし、「元メンバー全員とLINEしている」と明かしている。

2018年にはAmazon Prime Videoで配信された松本人志企画『HITOSHI MATSUMOTO Presents FREEZE』に出演した際は、過酷な企画にクレームを入れたと報じられた。2019年にはABEMA『エゴサーチTV』に出演し、ニューヨーク時代や大物芸人との交流を語っている。

ハワイ移住と『5時に夢中!』(2020年 - 2024年)[編集]

2020年8月、50歳の誕生日にAmebaブログを開設し、ハワイ在住を公表。ブログではハワイの50か所を紹介する企画「Hawaii 50」も予告した。同年は舞台『Last Shangri-La』に出演。この頃から2023年ごろにかけて、TOKYO MX『5時に夢中!』に金曜ゲストとして年に数回出演するようになった。

2022年7月には同番組で、男闘呼組の期間限定復活を見て「結構、涙が出てきましたよ」と語り、光GENJI再結成についても「もちろんやりたいですよ、僕はね」と意欲を見せた。2024年12月13日の出演では、同い年で親交のあった中山美穂の急逝について「アイドルなのに落ち着いていて大人っぽかった」と悼んだ。

元メンバーとの共演も続き、2023年夏のツアー最終公演には光GENJIの“恩師”ASKAがゲスト出演したとされ、2024年夏には赤坂晃とのコラボライブ「Special GiGz 2024 X1」を開催したと伝えられている。

2025年 - 2026年[編集]

2025年1月から7月にかけて、WOWOWで佐藤アツヒロが元メンバーを訪ね歩くドキュメンタリー『7 S.T.A.R.S. 〜7つの答え〜 佐藤アツヒロが繋ぐ光GENJIの現在(いま)』が放送された。赤坂、大沢、内海、佐藤寛之、山本、そしてASKAまでが登場する中、諸星だけは第6話の時点で姿を見せておらず、最終話まで出演しなかったとされる。同年3月22日にはホテルブエナビスタでディナーショーを開くなど、自身の活動は通常運転だった。

2026年は春ツアー「Pin,K Jam WEncore 2026 Spring」を3月28日から5月5日まで全24公演で開催し、7月から8月にかけて愛知・大阪・兵庫で夏公演を行った。7月31日には佐藤アツヒロが自身のXで、諸星・赤坂との偶然の再会3ショットを公開。かつて諸星を「苦手」と語っていた佐藤の投稿だけに、ファンを大いに沸かせた。

8月8日には愛知県名古屋市のパチンコ店でトークライブを開催し、その写真がネットで拡散。8月12日に56歳を迎え、9月には『週刊女性』がハワイでの近影を「別人すぎて脳がバグる」との反応とともに報じた。12月6日には愛知県豊田市の名鉄トヨタホテルで「諸星和己Xmas Dinner Show2026」が予定されている。

光GENJIと諸星和己[編集]

7人の中の立ち位置[編集]

光GENJIでの諸星は、センター兼ムードメーカー。メインボーカルは山本淳一が担うことが多かったが、ビジュアルとキャラクターでグループを引っ張ったのは諸星だった。デビュー時17歳で、「GENJI」の中では年長組にあたる。最年長の内海光司がまとめ役、最年少の赤坂晃と佐藤敦啓が末っ子という構図の中で、諸星は「やんちゃな兄貴分」というポジションだった。

佐藤アツヒロは2024年、フジテレビ系『ぽかぽか』で、かつては諸星が「苦手」だったと告白して話題になった。それだけに、2026年7月の3ショット公開は、長い年月を経た関係の変化を象徴する出来事として受け止められている。

大沢樹生との「不仲説」[編集]

光GENJIファンの間で長く語られてきたのが、諸星と大沢樹生の不仲説である。2025年の『アサヒ芸能』は、2人が2014年の映画や2016年のディナーショーで共演しながらも、あくまでビジネスライクな関係だったとする芸能記者の見方を紹介し、再結成の「壁」になっていると報じた。

これに対し大沢本人は2022年のインタビューで「仲が悪いっていうのはちょっと違うかな。合う、合わないって人にはあります」と説明し、諸星を「素晴らしいエンターテイナー」と評している。2016年のディナーショー以降は会っていないとも語っており、「不仲」というより「方向性の違う2人」というのが本人の認識のようだ。

再結成をめぐる発言の変遷[編集]

諸星の再結成に関する発言は、時期によって揺れている。2011年には赤坂晃の復帰を待つ意向を示しつつ「7人で集まりたい」と語ったが、2015年には「ウチのメンバーは問題が多すぎるから」と消極的な姿勢に。2017年には「いまのところはないですよ!」と否定した。

一方、2022年には「もちろんやりたい」と前向きな発言をし、「話し合ったほうがいい」とも付け加えた。2026年8月から光GENJIの楽曲が順次サブスク解禁され、デビュー40周年の2027年8月19日に向けて期待は高まっているが、2026年10月時点で再結成の正式発表はない。

バラエティでの暴露トーク[編集]

ジャニー喜多川と事務所への言及[編集]

独立組である諸星は、古巣について比較的自由に語れる立場にあった。2016年11月には、ジャニー喜多川について「先見の明がない」と言い切ったと報じられている。2016年12月の『胸いっぱいサミット!』では、当時解散が決まっていたSMAPの心境を聞かれ、「後輩たちは精神的に疲れているだろう」と思いやりを見せつつ、「そのグループにいたことがないから本当の気持ちは分からない」と慎重に言葉を選んだ。

光GENJI時代の収入についても、たびたびテレビで語っている。2016年には全盛期の年収を明かし、その意外な低さに共演者が驚いたと報じられた。なお、元メンバーの大沢樹生は2025年の番組で、グループ時代の年収は約3000万円だったと明かしている。

恩師ASKAへの思い[編集]

デビュー曲「STAR LIGHT」をはじめ光GENJIの代表曲を手がけたASKAは、諸星にとって「先生」にあたる存在。バラエティ番組でもたびたびASKAの名前を出し、「芸術家だからこその繊細さがある」と語ったこともある。

大物芸人との交流[編集]

ビートたけしとはバイク事故の第一発見者という縁があり、たけし軍団に3日だけ在籍したという珍エピソードも持つ。明石家さんまとの交流も番組で語っており、元競輪選手の中野浩一とはカラオケ仲間で「パラダイス銀河」を歌うこともあるという。2015年には仮面女子に「悪い大人にだまされるな」とアドバイスを送るなど、元トップアイドルとしての“先輩風”も吹かせている。

主な作品[編集]

ソロシングル[編集]

  • 「一匹狼 LONELY WOLF」(1994年)
  • 「ECSTACY」(1994年)
  • 「Real Action」「Nine Ball」「SAD SOUND」(2004年)
  • 「なぁ」(2007年)- オリコン週間インディーズランキング1位
  • 「俺らなんにもね〜」(2011年)- 吉幾三のヒット曲の続編
  • 「あさきゆめみし」(2015年)

アルバム・映像作品[編集]

  • 『RA・KU・GA・KI』(1994年)
  • 『shake』(2003年)
  • 『FIRST SOLO CONCERT 一匹狼 LONELY WOLF』(1994年、2004年再発)
  • 『BIRTHDAY LIVE 〜Volt-age40〜』(2010年)
  • 『Another side story 〜Still at〜』(2010年)

このほか2000年以降、ファンクラブ限定CDを毎年リリースしている。映画『幕末のスパシーボ』(1997年)には主題歌「終わりのない夢」を提供した。

著書[編集]

  • 『根性 : 光GENJI全集』(1990年)
  • 『くそ長〜いプロフィール』(2004年)
  • 『諸星和己のスロースタイル・ダイエット〜PLAY WORK〜』(2007年)

出演作[編集]

映画[編集]

  • 『ふ・し・ぎ・なBABY』(1988年)
  • 『幕末のスパシーボ』(1997年)
  • 『極道の妻たち 赤い殺意』(1999年)
  • 『鷲と鷹』(2014年、主演、監督:大沢樹生)
  • 『CONFLICT 〜最大の抗争〜』(2016年)

テレビドラマ[編集]

『メロディ』『ハッピー・マニア』『ヤマダ一家の辛抱』『うさぎがもちつき』(主演)『ダンナ様は18歳』『清水次郎長物語』『ザ・介護番長』などに出演。

舞台・ミュージカル[編集]

  • 『GOLDEN BOY』(1991年、初主演)
  • 『マッスルミュージカル Voyage〜旅立ち〜』(2008年)
  • 『EVIL DEAD THE MUSICAL〜死霊のはらわた〜』(2009年)
  • 『キャバレー』(2010年、2012年)
  • 『走れメロス』(2012年)
  • 『4BLOCKS』(2015年)
  • 『Honganji』(2016年、『Honganji〜リターンズ〜』含む)
  • 『Last Shangri-La』(2020年)

バラエティ・情報番組[編集]

  • 『諸星和己のうちばら』(2006年、沖縄テレビ)
  • 『しゃべくりDJ 諸星和己のミュージックアワー!』(2017年)
  • 『HITOSHI MATSUMOTO Presents FREEZE』(2018年、Amazon Prime Video)
  • 『5時に夢中!』(TOKYO MX、2020年頃から金曜ゲスト)
  • 『胸いっぱいサミット!』(関西テレビ)、『ロンドンハーツ』(テレビ朝日)、『エゴサーチTV』(ABEMA)ほかゲスト出演多数

炎上とバズ[編集]

「光GENJI 35周年」アクセサリー販売[編集]

2022年10月、諸星の公式サイトで「光GENJI35Anniversary記念モデル」をうたうローラースケート型のブレスレット(税込11,000円)が販売されていることを『週刊女性』が報道。事務所を離れたメンバーがグループ名を冠した商品を売っていることに「グループ名にすがり過ぎ」といった声が出ていると伝えた。一方で、ファンの間では記念グッズとして好意的に受け止める声もあった。

パチンコ店ライブと「近影バズ」[編集]

2026年8月の名古屋のパチンコ店でのトークライブは、MCを務めたラジオDJのInstagram投稿から拡散。開襟シャツにショートパンツ、つばの広い帽子で熱唱する姿に「歌唱力も衰えていない」「集客力がすごい」という称賛が集まる一方、会場選びに首をかしげる声もあった。芸能関係者によると、パチンコ店のイベントは40〜60代の集客に強いタレントにとって好条件の仕事だという。

余談[編集]

  • たけし軍団での芸名候補は「そのまんまモロ」と「諸 モロ出し」。どちらも本人が拒否し、在籍期間は3日だった。
  • 2016年、オートレーサーに転身した元SMAPの森且行について「俺の影武者だった。同じ格好でヘルメットをかぶってマスコミに追われてくれた」と語り、オートレーサーになれたのは自分のおかげだと主張した。
  • 2018年のボートレース尼崎でのイベントでは、舟券について「負けない。3連単120通り全部買うから」と豪語した。
  • 2010年には理想のタイプとして沢尻エリカの名前を挙げ、「もし別れたらアプローチします」と宣言している。
  • ジャニーズJr.時代、工藤静香の通う高校まで声をかけに行ったとされ、光GENJIのコンサートで工藤の曲を突然歌ったという話もある。いずれも芸能記者の証言として語られているもので、本人が公式に認めたものではない。
  • 2024年末の『5時に夢中!』では、中山美穂との関係を「何にもなかったの?」と中尾ミエにいじられ、「一緒に仕事をしていただけ」と答えたうえで大先輩をにらみ返した。

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