概要[編集]
お笑いとは、人を笑わせることを目的とした演芸・芸能の総称である。日本では漫才・コント・落語・ピン芸などを含み、これを職業とする人は芸人と呼ばれる。
詳細[編集]
現在の形の直接の祖先は、寄席で演じられてきた落語・漫談・万歳(まんざい)である。二人組が掛け合いで笑わせる「漫才」という表記と形式が定着したのは昭和初期で、それ以前の万歳は正月の門付け芸に由来する祝いの芸だった。笑わせること自体が商品になったのは、客が木戸銭を払って一席を聴く常設の小屋(寄席)が成立してからである。
戦後はラジオ、続いてテレビが主な発表の場になった。1980年前後の漫才ブーム、1990年代のコント番組、2000年代半ばのネタ見せ番組の隆盛と、おおむね10年から20年の周期で「お笑いが話題になる時期」が繰り返し訪れている。
賞レースが変えたもの[編集]
2001年に始まった『M-1グランプリ』は、漫才を勝敗のつく競技として再定義した。「結成10年以内」(のちに15年以内へ変更)という制限があり、優勝すれば一夜で全国に知られる。
この仕組みが重要なのは、賞金や知名度そのものよりも「評価の窓口が一つ増えた」点にある。それまで若手が世に出る経路は、番組制作者や事務所の目に留まることが中心だった。誰が抜擢されるかは判断する側の裁量に委ねられ、外からは見えない。賞レースは、その判断を公開の場で一度に行う装置である。2002年に一人芸の『R-1』、2008年にコントの『キングオブコント』が加わり、形式ごとに窓口が用意された。
一方で、競技化には「勝てる形に寄る」という作用が伴う。制限時間内に密度を上げる構成が有利になり、時間をかけて空気を作る芸や、審査の場になじまない芸は評価の対象から外れやすい。賞レースが技術水準を押し上げたという見方と、笑いの形を均一にしたという見方は、どちらも同じ現象の別の面を指している。
事務所という仕組み[編集]
日本のお笑いは吉本興業をはじめとする芸能事務所が育成から仕事の差配までを担う形が強い。養成所を持ち、劇場を持ち、番組への出演を仲介する。
劇場を自前で持っていることの意味は大きい。毎日舞台があれば新人は反応を見ながらネタを直せる。テレビの出演枠は数が限られ、誰でも立てる場所ではないが、劇場の舞台は毎日空く。人が育つ速さは、才能より「試せる回数」に強く左右される。関西の劇場文化が長く芸人の供給源であり続けてきたのは、この回数の差で説明がつく。
テレビとの関係[編集]
バラエティ番組の司会・回し役を芸人が占めるようになった理由は、演技力ではなく即応性にある。生放送や収録で予定どおりに進まない場面を、その場の判断でつなぐ技能が求められる場所だからである。一方でこの役割が固定されると、俳優など別の仕事での評価は遅れて訪れる。視聴者側の認識のほうが先に固まってしまうためで、これはバラエティ番組出身者に共通して起きる。
近年はYouTubeや配信での発表が並行して定着した。切り抜き動画として断片が拡散する形も一般化しており、劇場・テレビ・配信の三つの場をどう配分するかが活動設計の問題になっている。
よくある質問[編集]
「お笑い」と「演芸」はどう違うのか[編集]
おおむね重なる語だが、「演芸」は寄席で演じられる芸全般(落語・講談・曲芸などを含む)を指す古くからの語で、「お笑い」は笑わせることを目的とする側を指す日常語として広く使われている。
漫才とコントの違いは[編集]
おおまかには、演者がその場に立つ本人として話す形式が漫才、役を演じる形式がコントとされる。ただし境目は作品ごとに曖昧で、賞レースでも毎年のように議論になる。
なぜ関西出身の芸人が多いのか[編集]
才能の分布というより、劇場という毎日試せる場が継続してあったことが大きいと説明されることが多い。
余談[編集]
- 「漫才」の表記は1933年に吉本興業が用いたものが広まったとされる。それ以前の「万歳」「萬歳」は祝言の芸を指す語で、笑いを主目的とする語ではなかった。
- 東京と関西で「お笑い」の指す範囲がやや異なる。東京では落語を別ジャンルとして扱う感覚が残るが、関西では寄席の演目として同じ枠で語られることが多い。
- 賞レースの審査で点数が公開される形式が定着したのは、観る側が「自分の評価と審査員の評価の差」を語れるようになったという点で、番組の楽しみ方そのものを変えた。結果への異論が毎年起きるのは制度の欠陥ではなく、点数を見せる設計に最初から含まれていた帰結である。