概要[編集]

真夏の夜の淫夢』(まなつのよるのいんむ)は、正式名称を『Babylon Stage 34 真夏の夜の淫夢 〜the IMP〜(バビロンステージさんじゅうよん:まなつのよるのいんむ~ザ・インプ~)』といい、日本ゲイ向けアダルトビデオ制作会社・コートコーポレーション(以下、COAT)が2001年に公開した映像作品である[1]東京都世田谷区下北沢に本社を置く同社が手がけた「Babylon」シリーズの一作であり、全4章で構成される。当初はゲイコミュニティ向けの成人向けコンテンツとしてリリースされたが、インターネット文化における一大ネットミームへと発展した。この現象は、出演者の多田野数人(TDN)をめぐるスキャンダルや、「野獣先輩」のキャラクター化に加え、ニコニコ動画なんJ(なんでも実況J板)を中心としたコミュニティの活動によって加速した。

『真夏の夜の淫夢』は、ゲイポルノとしての典型的なストーリーラインを持つ作品で、特に第1章「極道脅迫!体育部員たちの逆襲」が最も有名である。物語は、サッカー部員の三浦(多田野数人)が後輩とともに車で帰宅中、暴力団員・谷岡(TNOK)の高級車に追突し、その示談条件として屈辱的な行為を強要される場面から始まる。しかし、後輩が谷岡の拳銃を奪うことで形勢が逆転し、一転して攻撃に転じる展開が特徴的である。この単純かつ過激な筋書きと、独特の演技やセリフが後年のネットミーム化の土壌となった[2]。 タイトルは、ウィリアム・シェイクスピアの戯曲『真夏の夜の夢』(A Midsummer Night's Dream)のパロディであるが、内容に直接的な関連はない。公開当時はゲイコミュニティ向けのニッチな作品に過ぎなかったが、インターネットの普及とともにその知名度が急上昇し、現在では日本のネット文化史において特異な地位を占める。

ネットミームとしての経緯[編集]

多田野数人をめぐるスキャンダル[編集]

『真夏の夜の淫夢』がネットミームとして注目されるきっかけは、2002年に出演者の一人である多田野数人(以下、TDN)の正体が明らかになったスキャンダルに端を発する。多田野は立教大学在学中の野球選手で、後に北海道日本ハムファイターズでプロとして活躍した人物である。彼が大学時代にアダルトビデオに出演していた事実が『週刊現代』(2002年8月号)で報じられると、子供たちの憧れの対象となるであろう野球選手が性産業であるAVに出演していたことが問題となった[3]。 この報道により、多田野の出演作である『真夏の夜の淫夢』第1章が注目され、インターネット上で動画が拡散し始めた。当初は好奇心や嘲笑の対象として語られたが、彼の演技から生まれた「アッー!」「オナシャス!」「たまげたなあ」などのセリフが、ニコニコ動画を中心とするネットコミュニティで引用され始め、独自の「淫夢語録」として定着した。しかし、2002年の発覚からすぐにミームとして爆発的に広まったわけではなく、約8年間のタイムラグを経て2010年頃に本格的なブームが到来した。この遅延は、インターネットの普及速度やニコニコ動画のMAD文化の成熟が背景にあると考えられている[4]

野獣先輩の登場とブームの拡大[編集]

『真夏の夜の淫夢』のミーム化が加速したのは、第4章「昏睡レイプ!野獣と化した先輩」に登場する「野獣先輩」(やじゅうせんぱい)が発掘された2009年頃からである。野獣先輩は、空手部の先輩役として出演し、「イキスギィ!」「いいよ!こいよ!(数字で「114514」とも書かれる)」、「24歳、学生です」、「やりますねぇ!」、「菅野美穂」などのセリフと独特の演技で視聴者に強烈な印象を与えた。彼の正体は現在も不明のままであるが、その神秘性が逆にミームとしての魅力を高めた。 野獣先輩の登場により、『真夏の夜の淫夢』は単なるスキャンダルの副産物から、独自のキャラクター文化へと進化した。ニコニコ動画では、野獣先輩の映像や音声を素材としたMAD動画が大量に制作され、COATだけでなく他社のゲイビデオまで含めた「淫夢ファミリー」と呼ばれる出演者たち(TDN、DB、TNOK、遠野、MUR、KMR、AKYS、タクヤ、ひで、虐待おじさん、ガバ穴ダディー、ホリ・トオルなど)ミームとして扱われるようになった。また、「そうだよ」、「ホモは嘘つき」などの語録が追加され、淫夢語録はさらに多様化した。 2017年には、野獣先輩がGoogleストリートビュー横浜市戸塚区のトイレに画像が映り込んだり、彼の生存説・死亡説がネット上で議論されるなど、ミームとしての影響力はピークに達した[5]。この時期、淫夢関連コンテンツは「淫夢民」(いんむみん)または「淫夢厨(いんむちゅう)」と呼ばれるファン層によって支えられ、ニコニコ動画やTwitter(現・X)で独自のコミュニティを形成した。

関連付けられた人物・コンテンツ[編集]

『真夏の夜の淫夢』のミーム文化は、本来無関係な人物やコンテンツにも波及し、風評被害やコラボレーションの形で広がった。

西寺郷太とNONA REEVES[編集]

西寺郷太(にしでらごうた)は、音楽バンド「NONA REEVES」のボーカリストである。彼が野獣先輩に容姿が似ているとネット上で指摘されたことから、淫夢コミュニティで「NSDR兄貴」として風評被害を受けた。2000年にスペースシャワーTVで放送されたNONA REEVESとラッパー・YOU THE ROCK★の合同ライブ中、西寺のタイトルコールにYOU THE ROCK★が「ダイナモ感覚!」と叫び込んだことが話題となり、これも淫夢関連MADで素材化された。西寺自身はこの関連付けに言及したことがある[6]

変態糞親父[編集]

変態糞親父(へんたいくそおやじ)、または変態糞土方(へんたいくそどかた)は、ゲイ向けの掲示板に投稿していた岡山県在住の男性である。「やったぜ。」「ああ^~たまらねぇぜ」などの語録で知られる。スカトロプレイという常人には理解しがたい言動がニコニコで流行し、淫夢における有力ミームとなった[7]

クッキー☆[編集]

クッキー☆は、東方Projectの二次創作アニメとして2010年に公開された作品だが、その低品質な演技や音声が淫夢と類似しているとされ、淫夢ミームの派生コンテンツとして扱われた。特に声優の一人「UDK姉貴」が淫夢語録と組み合わさり、MAD動画で多用されるようになった。クッキー☆は淫夢とは直接関係ないが、ネットミームとしての類似性が「風評被害」を生み、両者のコラボレーションが頻繁に見られる[8]


各種YouTuber[編集]

これらのYouTuberが発掘された背景には、2013~2014年のYouTuberブームでネット文化の中心がニコニコからYouTubeに移行したことがあり、これに反発したニコ厨やなんJ民がマイナーYouTuberを発掘し、ニコニコに転載する運動を展開した結果である。

たれぞう[編集]

たれぞうは、2010年代前半に活動していた兵庫県出身のYouTuberで、「うん、OC!(「美味しい」の空耳)」といったセリフや、スカトロ好愛好・ショタコンなどの奇抜な言動が特徴。動画がニコニコに転載された後、淫夢民の間でブームとなった。[9]

Syamu[編集]

Syamu(シャム)は、奇抜な言動で知られたネット上の有名人である。Syamuは2010年代にゲーム実況や日常動画で注目を集め、「オフ会0人」「貝塚勃起土竜」「精子スプリンクラー(略:精スプ)」などのネタでミーム化。本来はゲイビデオ無関係だったが、その奇抜な言動を淫夢民に見つけられ、ニコニコに「ホモと見る大物YouTuber」として動画が転載された結果、淫夢民が彼の動画をMAD素材として取り入れ、「淫夢ファミリー」の外部メンバーとして扱うことが多い[10]

aiueo700[編集]

aiueo700(あいうえおななひゃく、別名:イワマン)は、愛知県岩倉市在住の男性で、YouTube、ニコニコ、Dailymotionに集団ストーカー被害を訴える動画を投稿し、その後なんJ民に目をつけられカルト的な人気を獲得。2015~2016年の発掘ブームで淫夢民に取り上げられ、叫び声がMAD素材として活用された[11]

カツドンチャンネル[編集]

カツドンチャンネルは、食レポや日常動画を投稿するマイナーYouTuberで、2010年代後半に淫夢民がニコニコに転載。「カツ丼食うよ!」などのフレーズが淫夢語録と融合した[12]

ゆゆうた[編集]

ゆゆうた(本名:鈴木悠太)は、ニコニコ動画やYouTubeで活動する配信者・音楽家で、「淫夢営業」の代表例として知られる。2010年代後半、淫夢語録を多用した歌や配信で注目を集め、「野獣先輩のテーマ」「114514」などのフレーズを音楽に取り入れた。淫夢民との交流も深く、ミーム文化の拡散に寄与した[13]

攻撃戦だ(コンギョ)[編集]

「攻撃戦だ」(朝鮮語:공격전이다)は、2010年に発表された北朝鮮のプロパガンダ曲(NK-POP)で、淫夢ミームのサブジャンル「従軍先輩シリーズ」から広まった。このシリーズは、野獣先輩が国家に忠誠を尽くすMAD動画群を指し、2010年代に人気を博した。特に、ゲイビデオ会社AcceedのAV男優「ひで」が出演するビデオに「攻撃戦だ」の音声が付けられた作品や「北朝先輩(きたちょうせんぱい)」という野獣先輩を北朝鮮のプロパガンダイメージと合成した動画で使われたことが淫夢民に大ウケし、以降、淫夢関連コンテンツで頻繁に使用されるようになった。この曲の攻撃的なイメージが野獣先輩の過激なキャラクターと結びつき、ネットミームとしての地位を確立した[14]。 後の世界史界隈の形成にも影響を与えたコンテンツである。

「ホモと見るシリーズ」[編集]

「ホモと見るシリーズ」は、淫夢関連動画の派生ジャンルで、「ホモと見る~」というタイトルで野獣先輩の映像に様々な素材(アニメ、ゲーム、ニュース映像など)を組み合わせたMAD群を指す。2010年代中盤にニコニコ動画で流行し、淫夢の汎用性を示す形で視聴者を引きつけた。このシリーズは、淫夢語録を背景に視聴者の「ホモ視点」を強調するネタとして機能し、ミームの拡散に寄与した[15]。 現在、淫夢が属する「例のアレ」というカテゴリが著しく衰退しており、現在ニコニコ動画に投稿される例のアレ動画の大半がこのカテゴリに属している。

なんJの役割[編集]

なんJ(なんでも実況J板)は、2ちゃんねる(現・5ちゃんねる)の野球実況板から派生したコミュニティで、淫夢ミームの拡散に司令塔的な役割を果たした。2010年代初頭、なんJ民は淫夢語録を日常的に使用し、まとめサイトやTwitter経由で一般層に広めた。特に「野獣の日」(後述)や「攻撃戦だ」の流行は、なんJの影響が大きい。また、なんJ発のミームとして、2012年の唐澤貴洋弁護士への個人攻撃から生まれた「恒心教」(ハセカラ)がある。唐澤がなんJで炎上し、「パカデブ」などの蔑称で呼ばれたこの騒動は、淫夢語録と結びつき、「ハセカラ民」と淫夢民が一部重なる形で発展した。なんJは淫夢をネット文化の基盤に押し上げたが、令和時代に入り勢いを失い、その文化はTwitter(現・X)に移行した[16]

世界史界隈と淫夢の継承[編集]

2017年以降、ニコニコ動画はVTuberブームで地位を失い、淫夢民の多くがTwitter(X)に移行。なんJ文化を継承する形で、「世界史界隈」が淫夢ミームを牽引する存在となった。世界史界隈は、歴史や政治をネタとして消費するコミュニティで、『ポーランドボール』や『Hearts of Iron』などのコンテンツを含む。ここでは淫夢語録が事実上の公用語となり、「セモ」(韓国の淫夢民)などの著名なメンバーが活動。歴史的出来事を淫夢風に解釈するMADやツイートが特徴的である。

文化的影響と評価[編集]

『真夏の夜の淫夢』は、日本のインターネット文化において、ゲイポルノというニッチな素材が予想外の形で大衆化し、独自のサブカルチャーを形成した稀有な事例である。多田野数人のスキャンダルから始まったこの現象は、野獣先輩の登場で頂点を迎え、無関係な人物やコンテンツを巻き込むほどの拡散力を見せた。ニコニコ動画やX(旧Twitter)でのMAD動画は、若者文化における「ネタの共有」を象徴し、淫夢語録は日常会話にまで浸透した。 一方で、本作のミーム化は出演者へのプライバシー侵害や風評被害を招いたとの批判もある。特に多田野数人は「たった一度のあやまち」と出演を振り返り、野球選手としてのキャリアに影響を受けた。また、コートコーポレーションは「聖地巡礼」による近隣住民への迷惑行為に対し、公式サイトで自制を呼びかけたことがある[17]

「野獣の日」[編集]

「野獣の日」(やじゅうのひ)は、毎年8月10日に淫夢民が祝う非公式記念日で、野獣先輩にちなむ。第4章の撮影地とされるCOAT本社(世田谷区北沢3-23-14)への「聖地巡礼」が行われ、なんJやTwitterで企画が拡散された。しかし、近隣住民への迷惑からCOATは自制を呼びかけ、2024年には巡礼者数名が逮捕された[18]

脚注[編集]

  1. COAT Corporation 会社概要”. コートコーポレーション. 2025年3月13日閲覧。
  2. 日本のネットミーム史”. J-STAGE. 2025年3月13日閲覧。
  3. 多田野数人スキャンダル報道”. 朝日新聞デジタル (2002年8月10日). 2025年3月13日閲覧。
  4. ニコニコ動画の歴史とMAD文化”. ニコニコ動画公式. 2025年3月13日閲覧。
  5. 真夏の夜の淫夢?ってどうして人気なんですか? 女顔の美少年とかならまだしも、汚いおっさんが好きな層が大量にいることが信じられない。”. Yahoo! 知恵袋 (2017年9月15日). 2025年3月13日閲覧。
  6. 西寺郷太インタビュー”. Musicman (2015年6月20日). 2025年3月13日閲覧。
  7. ニコニコ大百科 - 変態糞親父
  8. クッキー☆”. ニコニコ大百科. 2025年3月13日閲覧。
  9. たれぞう”. ニコニコ大百科. 2025年3月13日閲覧。
  10. Syamu_game”. ピクシブ百科事典. 2025年3月13日閲覧。
  11. aiueo700”. ニコニコ大百科. 2025年3月13日閲覧。
  12. カツドンチャンネル”. Wikiwiki. 2025年3月13日閲覧。
  13. 攻撃戦だ”. ニコニコ大百科. 2025年3月13日閲覧。
  14. 攻撃戦だ”. ニコニコ大百科. 2025年3月13日閲覧。
  15. ホモと見るシリーズ”. ピクシブ百科事典. 2025年3月13日閲覧。
  16. 2ちゃんねる文化史”. 東京大学出版会. 2025年3月13日閲覧。
  17. COAT Corporation 公式声明”. COAT Corporation (2024年8月15日). 2025年3月13日閲覧。
  18. 「野獣の日」巡礼者逮捕報道”. 読売新聞オンライン (2024年8月11日). 2025年3月13日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]