| 田中陽造 たなか ようぞう | |
|---|---|
| 誕生日 | 1939年5月17日 |
| 年齢 | 87歳 |
| 出身地 | 東京市日本橋 |
| 国籍 | 日本 |
| 学歴 | 早稲田大学第一文学部卒業 |
| 職業 | 脚本家 |
| 活動期間 | 1966年 - |
| 代表的な実績 | 日活ロマンポルノ全盛期を支えた脚本家 |
| 事務所 | パパドゥ |
| 別名 | 具流八郎(共同ペンネーム) |
| その他 | 若松プロダクション出身 |
概要[編集]
田中陽造(たなか ようぞう、1939年5月17日 - )は、ピンク映画から日活ロマンポルノ、さらには『セーラー服と機関銃』のような一般大作まで横断した名脚本家である。別名義は「具流八郎」。鈴木清順を中心とする伝説の脚本チームの一員であり、ロマンポルノ全盛期を裏で支えた立役者のひとりとされる。エロスとロマン、暴力と詩情を同居させる作風で、多くの監督に重宝された職人らしい。
経歴[編集]
東京・日本橋の生まれ。日劇ミュージックホールの演出部に入ったのち、ラジオの台本を手がけるようになる。早稲田大学第一文学部在学中に大和屋竺、河内紀と出会い、稲門シナリオ研究会に所属した。後に若松プロダクション(若松孝二の制作会社)出身としてキャリアを重ねる。
日活に入社すると、鈴木清順監督を中心とした脚本チーム「具流八郎」に参加。1967年の宍戸錠主演『殺しの烙印』は、この「具流八郎」名義による共同脚本である。集団でペンネームを共有して脚本を書くという発想自体が、当時としてはかなり前衛的だった。
ロマンポルノを支える[編集]
1970年代に入ると日活ロマンポルノの全盛期を脚本面から支える存在となる。『花と蛇』(1974)、『嗚呼!!花の応援団』(1976)、『実録白川和子 裸の履歴書』など、量産体制のなかで幅広いジャンルの脚本を手がけた。団鬼六原作のSM作品から喜劇まで、振れ幅の大きさが田中の持ち味である。
鈴木清順の復活作にして「大正浪漫三部作」の口火を切った『ツィゴイネルワイゼン』(1980)、続く『陽炎座』の脚本も担当し、清順美学の幻想世界を言葉の面から支えた。一般映画では相米慎二監督・薬師丸ひろ子主演の『セーラー服と機関銃』(1981)の脚本も手がけている。
後進の育成[編集]
脚本家の荒井晴彦、中園ミホとは師弟関係にある。2005年に新設された東京藝術大学大学院映像研究科で助教授を務め、大石三知子、田中幸子、和田清人ら次世代の脚本家を育てた。エロスの現場でキャリアを積んだ書き手が、芸大で教鞭をとるというのも、日本映画のひとつの歴史の厚みを感じさせる。
余談[編集]
- 「具流八郎」は鈴木清順・大和屋竺・曽根義忠(曽根中生)らも名を連ねた共同ペンネームで、メンバーが入れ替わりながら脚本を書いた。
- ロマンポルノというと監督の名前ばかりが語られがちだが、量産の現場を支えたのは田中のような腕利きの脚本家たちだった。