| 浜田広介 はまだ ひろすけ | |
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| ファイル:浜田広介.jpg | |
| 本名 | 濱田廣助 |
| 誕生日 | 1893年5月25日 |
| 死亡日 | 1973年11月17日 |
| 死亡年齢 | 80歳 |
| 出身地 | 山形県東置賜郡屋代村(高畠町) |
| 国籍 | 日本 |
| 学歴 | 早稲田大学英文科卒 |
| 職業 | 童話作家 |
| 肩書 | 日本児童文芸家協会初代理事長 |
| 活動期間 | 1910年代 - 1973年 |
| 代表的な実績 | 『泣いた赤鬼』『竜の目の涙』『椋鳥の夢』 |
| 受賞 | 児童文化賞・野間文芸奨励賞・文部大臣芸能賞 |
| その他 | 「ひろすけ童話」 |
概要[編集]
浜田広介(はまだ ひろすけ、1893年5月25日 - 1973年11月17日)は、日本の童話作家。本名は濱田廣助。生涯に1000編を超える童話を書き、その温かく素朴な作品群は「ひろすけ童話」と呼ばれ親しまれた。代表作『泣いた赤鬼』はあまりにも有名である。
人を脅かす怖い鬼ではなく、人間と仲良くなりたくて涙する優しい鬼を描いた『泣いた赤鬼』は、友情と自己犠牲の物語として世代を超えて読み継がれている。「泣いた赤鬼で泣いた」経験のある人は多いはず。
生い立ち[編集]
山形県高畠町の農家に生まれる。幼いころから巖谷小波の少年文学を愛読し、物語の世界に親しんだ。米沢中学(現・米沢興譲館高校)を経て早稲田大学英文科を卒業。学生時代から童話の創作に手を染めていた。
ひろすけ童話の確立[編集]
関東大震災の後に本格的な文筆生活に入った。やさしい言葉づかいと、しみじみとした情感、そして「やさしさ」「思いやり」を一貫したテーマとする作風で、独自の童話世界を築いた。叙情的で繰り返しのリズムを持つ文章は、声に出して読み聞かせるのにふさわしく、幼年童話の一つの理想形とされる。
『泣いた赤鬼』[編集]
代表作『泣いた赤鬼』は、1933年に「おにのさうだん」の題で雑誌連載され、1935年に刊行された。人間と友達になりたい赤鬼のために、青鬼がわざと悪者を演じて去っていく物語で、自己犠牲と友情の尊さを描く。教科書や絵本の定番として、今も多くの子どもに読まれている。
児童文学界の重鎮として[編集]
小川未明・坪田譲治とともに「児童文学界の三種の神器」と並び称された。1940年に児童文化賞、1942年に野間文芸奨励賞、1953年に文部大臣芸能賞を受賞。1955年には日本児童文芸家協会の初代理事長(後に初代会長)に就任し、児童文学の発展に大きく貢献した。
余談[編集]
- 故郷の山形県高畠町には「まほろば・童話の里 浜田広介記念館」があり、その生涯と作品世界に触れることができる。
- 多作で知られ、その作品数は1000編にも及ぶとされる。