栄久庵憲司

榮久庵 憲司
Kenji Ekuan
ファイル:栄久庵憲司.jpg
本名 榮久庵 憲司(えくあん けんじ)
誕生日 1929年9月11日
死亡日 2015年2月8日
死亡年齢 85歳
出身地 東京府(広島・ハワイで育つ)
国籍 日本
学歴 東京藝術大学美術学部図案科
職業 工業デザイナー
肩書 GKデザイングループ 創設者・会長
活動期間 1952年 - 2015年
代表的な実績 キッコーマンしょうゆ卓上びん、成田エクスプレス、秋田新幹線こまち
受賞 グッドデザイン賞、紫綬褒章、旭日小綬章


概要[編集]

栄久庵憲司(えくあん けんじ、1929年9月11日 - 2015年2月8日)は、日本の工業デザイナー。デザイン事務所「GKデザイングループ」の創設者であり、戦後日本のインダストリアルデザインを切り拓いた草分け。

その代表作が、食卓に必ずあるあの赤いキャップの「キッコーマンしょうゆ卓上びん」。1961年の発売以来、半世紀以上ひとつもデザインを変えずに売られ続けている、まさに「世界一有名な日本のプロダクト」のひとつである。三宅一生倉俣史朗、メタボリズム運動の建築家菊竹清訓らと並ぶ、戦後日本デザインの巨人。

原爆体験とデザインの原点[編集]

東京に生まれるが、僧侶の家系で広島・ハワイなどを転々として育つ。少年時代に広島で原爆の惨禍を目の当たりにし、肉親も失った。焼け野原に投げ出された経験から、「モノには人を幸せにする力がある」「美しい道具で暮らしを豊かにしたい」という強い思いを抱き、デザイナーを志したと語っている。この点で、同じく広島で被爆した三宅一生と深く通じ合う原点を持つ。

GKデザイングループの設立[編集]

東京藝術大学図案科に学び、在学中の1952年、仲間とともにデザイン研究グループ「GK(Groupe Koike=指導教官・小池岩太郎に由来)」を結成。これがのちのGKデザイングループへと発展する。「道具の民主化」を掲げ、特定の富裕層のためでなく、すべての人の日常に美しく機能する道具を——という理念のもと、プロダクト・乗り物・公共空間・ロゴまで、デザインの全領域に活動を広げた。

キッコーマンしょうゆ卓上びん[編集]

1961年に発表した「キッコーマンしょうゆ卓上びん」は、栄久庵デザインの代名詞。約100点もの試作を重ねたという注ぎ口は、液だれせずキレよく注げる絶妙な形状で、首をつまんで注ぐと手が自然に美しく見えるよう計算されているという小話も有名。発売以来デザイン変更なしのロングセラーで、グッドデザイン賞を受け、立体商標としても登録された。ニューヨーク近代美術館(MoMA)にも収蔵されている。

乗り物から街まで[編集]

栄久庵/GKの仕事は卓上びんにとどまらない。ヤマハのオートバイ、成田エクスプレス(253系)、秋田新幹線「こまち」、都市の街灯やバス停、JTのたばこパッケージ、ミニストップやヤマト運輸などのロゴ・CIまで、私たちが日々目にする無数の「かたち」を手がけた。「気づかれないほど暮らしに溶け込むデザイン」こそが理想だと語っていた。

思想家としてのデザイナー[編集]

栄久庵は単なる造形家ではなく、「道具論」「美の思想」を語る思想家でもあった。仏教的な世界観に根ざした『幕の内弁当の美学』などの著作で、日本人の暮らしと道具の関係を考察。世界デザイン機構(ICSID)会長、桑沢デザイン研究所所長、静岡文化芸術大学デザイン学部長などを歴任し、後進の育成と日本デザインの国際発信にも尽くした。1960年のメタボリズム宣言にも参加している。

余談[編集]

  • 「幕の内弁当」をデザインの理想形と見立てた話は有名で、限られた空間に多様な要素を美しく秩序立てて収める日本的美意識を、栄久庵は道具づくりの手本とした。
  • 2015年に85歳で死去。卓上びんは今日も世界中の食卓に置かれ続けており、「最も多くの人の生活に入り込んだ日本のデザイン」とも評される。

関連項目[編集]