木下尚江

木下尚江
きのした なおえ
ファイル:木下尚江.jpg
誕生日 1869年
死亡日 1937年11月5日
出身地 信州松本(現・長野県松本市)
国籍 日本
職業 社会運動家/小説家
活動期間 1890年代 - 1930年代
代表的な実績 小説『火の柱』『良人の自白』/非戦・廃娼運動


概要[編集]

木下尚江(きのした なおえ、1869年 - 1937年11月5日)は、明治・大正期の社会運動家、小説家。信州松本の出身。廃娼運動や足尾銅山鉱毒問題、普通選挙運動、そして日露戦争に反対する非戦運動の論陣を張った、初期社会主義運動の代表的な闘士である。 小説『火の柱』『良人(りょうじん)の自白』で非戦論と家族制度批判を世に訴えたことでも知られる。晩年は社会主義から離れて精神的な探求に向かい、新宿中村屋の人びととも深い縁を結んだ、というなかなか振り幅の大きい人物らしい。

社会運動家として[編集]

1869年(明治2年)、信州松本の下級武士の長男に生まれた。1899年(明治32年)に毎日新聞(旧・横浜毎日新聞)に入社し、健筆をふるって社会問題に切り込んでいく。廃娼運動、足尾銅山鉱毒問題、普通選挙期成運動などで論陣を張り、1901年(明治34年)には幸徳秋水・片山潜・堺利彦らとともに社会民主党の結成に参加した。

非戦論と小説[編集]

日露開戦にあたっては、堺利彦・幸徳秋水らをうながして非戦運動を開始。『毎日新聞』に小説『火の柱』(1904年)、『良人の自白』(1904〜05年)を連載し、戦争への反対と、女性を縛る当時の家族制度への批判を物語のかたちで世に問うた。社会派ジャーナリストにして小説家という二刀流ぶりだった。

中村屋との縁[編集]

1906年(明治39年)ごろから、木下は社会主義運動から距離を置き、岡田虎二郎の岡田式静坐法に入門して精神の修養に打ち込むようになる。この静坐法を新宿中村屋の女主人相馬黒光に紹介したところ、黒光はすっかり元気を取り戻し、さらに中村屋のアトリエにいた画家中村彝までもが静坐道場に通うようになったという。中村屋サロンの文化人ネットワークの一角に、木下もまた連なっていたのである。1937年(昭和12年)11月5日に永眠した。68歳だった。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]