岡田斗司夫
岡田斗司夫.jpg
(Source:google)
ID YouTube:@toshiookada0701
本名 岡田 斗司夫(おかだ としお)
誕生日 1958年7月1日
年齢 65歳
出身地 大阪府大阪市住吉区
血液型 O型
学歴 大阪電気通信大学(中退)
プラットフォーム YouTube
登録者数 YouTube:108万人[1]
リンク YouTubeTwitter


概要[編集]

日本のYouTuber(ユーチューバー)、YouTubeチャンネル。

歴史[編集]

  • 1978年(昭和53年)、大阪電気通信大学も参加して発足していた関西学生SF研究会連盟の会合に顔をだすようになる。ここで武田康廣と出会う。同年、第17回日本SF大会(ASHINOCON)に参加し、武田康廣と共に舞台で話芸を披露。「関西芸人」の異名を取る。
  • 1979年(昭和54年)、関西学生SF研究会連盟が大阪で主催した第4回SFショーの事務局長を務める。
  • 1981年(昭和56年)、第20回日本SF大会 (DAICON3) を開催。オープニングでDAICON FILMの自主製作アニメーションを上映。会場でグッズやガレージキットを販売したり、自主制作作品のビデオ販売で大会の赤字を補填できたことなどにより、このジャンルがマニア向けのビジネスになると直感し、両親からの出資を得て実家の会社の一部門として1982年(昭和57年)にSFグッズ専門店「ゼネラルプロダクツ」を開店する。
  • 1982年(昭和57年)、脚本を執筆したDAICON FILMの自主製作映画『愛國戰隊大日本』がSF界で論争になる。同年6月27日に放送の劇場アニメ『伝説巨神イデオン』の宣伝番組に武田康廣と共に「双子の悪魔」としてテレビ出演し、数々のパフォーマンスを演じた。
  • 1983年(昭和58年)には、DAICON FILMの自主制作映画『帰ってきたウルトラマン マットアロー1号発進命令』(総監督・主演:庵野秀明)の脚本を執筆した。
  • 1984年(昭和59年)、アニメ制作会社「ガイナックス」を設立し、代表取締役に就任する。アニメ映画『王立宇宙軍 オネアミスの翼』、OVA『トップをねらえ!』、NHKテレビアニメシリーズ『ふしぎの海のナディア』や、PC用ゲームソフト『プリンセスメーカー』などのヒット作を生み出す。
  • 1992年(平成4年)、岡田自ら企画したPC用ゲームソフト電脳学園シナリオI Ver2.0が有害図書指定され、宮崎県を提訴して最高裁まで争うが棄却される。その後、ガイナックスはEOCSに加入する。同年、岡田はガイナックスを退社する。
  • 1994年(平成6年)10月から翌1995年(平成7年)3月にかけて東京大学教養学部の非常勤講師を務め、サブカルチャーを題材とした「マルチメディア概論」の講義を行った。
  • 1996年(平成8年)から1997年(平成9年)にかけては、学生の学外の講師を招聘して設置される自由研究ゼミとして「オタク文化論」の講義を行った。
  • 1995年(平成7年)、唐沢俊一・眠田直とともに、オタク芸人ユニット「オタクアミーゴス」を結成。1996年よりレギュラーメンバーとして出演のNHK・BS2で不定期放送中の番組『BSマンガ夜話』開始。
  • 1997年(平成9年)、自身の講演・執筆活動のために株式会社オタキングを設立、代表取締役に就任。
  • 1999年(平成11年)、編者を務めた『国際おたく大学』で唐沢俊一が行った伊藤剛 への誹謗中傷によって提訴される。
  • 2003年(平成15年)、ガレージキットの草創期から公私にわたる交友がある海洋堂と組んで食玩「王立科学博物館」シリーズを企画し、タカラから発売。
  • 2004年(平成16年)、岡田が企画立案したBS2『BSアニメ夜話』の放送開始。レギュラーメンバーでもあり、当初は司会も務めた。
  • 2005年(平成17年)、大阪芸術大学芸術学部キャラクター造形学科客員教授。
  • 2007年(平成19年)、自ら実践したダイエットをテーマに著した『いつまでもデブと思うなよ』(cf.) が、2008年(平成20年)に50万部のベストセラーとなる。
  • 2010年(平成22年)3月、オタキングexを設立。
  • 2011年(平成23年)2月、株式会社クラウドシティを設立。5月、ニコニコ生放送にて『ニコ生 岡田斗司夫ゼミ』を始める。
  • 2012年(平成24年)、吉本興業と契約し、よしもとクリエイティブ・エージェンシーに所属する(社名変更後の契約および所属は不明)。1月、オタキングexの社名をFREEexに変更する。
  • 2014年(平成26年)9月、作中に岡田自身が登場する漫画作品アオイホノオのドラマ版に手塚治虫役で出演する。
  • 2016年(平成28年)5月、堀江貴文らと共に「みんなのアニメプロジェクト」をスタートし、制作費をクラウドファンディングのCAMPFIREで募る。
  • 2017年(平成29年)、岡田斗司夫アーカイブを開設。

余談[編集]

  • 先天性心臓弁膜症と、先天性光線過敏症を患っている。
  • 戯画的にオタクを演じることでオタクの顔であった宅八郎に替わり、1996年(平成8年)からオタク関係の著書を立て続けに出版し、並行して各種メディアに頻繁に露出するようになり、そのなかでオタクをひたすら擁護・称揚して、それまでネガティブなイメージであったオタクの社会的地位向上のための言論活動を1998年(平成10年)まで行なった。
  • 少なくとも2010年代の全期には、岡田の自宅および株式会社オタキングの事務所は井の頭公園近くに所在した。自ら公言しているが、建物は十数年前(※典拠とする発言があった2011年〈平成23年〉の約17年前)の1994年(平成6年)に発生した井の頭公園バラバラ殺人事件の被害者宅であり、つまりは訳あり物件(心理的瑕疵物件)である。
  1. 2024年1月