| 山村 暮鳥 Yamamura Bochō | |
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| ファイル:山村暮鳥.jpg | |
| 本名 | 土田 八九十 |
| 誕生日 | 1884年1月10日 |
| 死亡日 | 1924年12月8日 |
| 死亡年齢 | 40歳 |
| 出身地 | 群馬県西群馬郡棟高村(現・高崎市) |
| 国籍 | 日本 |
| 職業 | 詩人、児童文学者 |
| 活動期間 | 1910年代 - 1924年 |
| 代表的な実績 | 『聖三稜玻璃』『雲』 |
| 別名 | 日本立体詩派の祖 |
概要[編集]
山村暮鳥(やまむら ぼちょう、1884年1月10日 - 1924年12月8日)は、群馬県出身の詩人・児童文学者。本名は土田八九十(つちだ はくじゅう)。前衛的な実験詩から平易であたたかい人道詩まで、生涯のあいだに作風をガラリと変えていった振れ幅の大きい詩人である。
代表作はとんがった前衛詩集『聖三稜玻璃』と、晩年の澄みきった詩集『雲』。「おうい雲よ/ゆうゆうと/馬鹿にのんきさうぢゃないか」という呼びかけの一節は、教科書でもおなじみのフレーズらしい。
キリスト教伝道者として[編集]
群馬の農村に生まれ、苦学のすえ1903年に東京・築地の聖三一神学校に入学。卒業後は日本聖公会の伝道師として各地の教会を巡った。キリスト教の信仰と聖書の言葉は、暮鳥の詩のイメージや透明感の源泉となっている。号の「暮鳥」も、夕暮れに帰る鳥のような漂泊の心を映しているようだ。
聖三稜玻璃と前衛詩[編集]
1915年(大正4年)、詩集『聖三稜玻璃(せいさんりょうはり)』を刊行。難解な漢字を打ち付けるように並べた先鋭な表現は、当時の詩壇に大きな波紋を投げかけ、暮鳥は「日本立体詩派の祖」とも呼ばれた。序文は室生犀星が寄せている。
この時期、暮鳥は萩原朔太郎・室生犀星とともに詩誌『感情』を1916年に創刊。三人は近代詩の革新を志す盟友であり、暮鳥の前衛性は朔太郎・犀星の抒情とは別の方向から近代詩を押し広げた。
人道詩への転回・雲[編集]
やがて結核を患い、1920年ごろ教会の職を離れる。生活のため童話や童謡も手がけるようになり、詩風も一転して平易であたたかな人道主義へと変わっていった。1918年の『風は草木にささやいた』を経て、絶筆となった詩集『雲』(1925年・没後刊)に至る。
「おうい雲よ」で始まる「雲」は、難しい言葉を一切使わず、ただ空をゆく雲に語りかけるだけの詩。前衛から出発した詩人がたどり着いた究極の素朴さとして、いまも広く愛されている。
余談[編集]
- 1924年、療養先の茨城県大洗町で結核により永眠。享年41。最後まで詩と童謡を手放さなかった。
- とんがった『聖三稜玻璃』とやさしい『雲』が同じ人の作とは信じられない、とよく言われる。変わり身の大きさそのものが暮鳥の魅力である。
関連項目[編集]
- 萩原朔太郎 / 室生犀星 - 詩誌『感情』をともに創刊した盟友
- 北原白秋 - 同時代の詩壇の巨匠
- 三好達治 / 木下杢太郎 / 三木露風 - 近代詩の同時代人
- 堀辰雄 / 谷崎潤一郎 - 大正・昭和文学の系譜
- MissAV / FANZA / 稲垣莉生 / 篠山紀信