小林幸子はYouTuBBA!!
小林幸子はYouTuBBA!!.jpg
(Source:google)
ID YouTube:@Sachiko_OfficialChannel
本名 林 幸子(はやし さちこ)
誕生日 1953年12月5日
年齢 70歳
出身地 新潟県新潟市
身長 165㎝
血液型 A型
プラットフォーム YouTube
登録者数 YouTube:18万人[1]
事務所 幸子プロモーション
リンク YouTubeTwitterInstagram公式HPfacebookブログniconico(ニコニコ)


概要[編集]

日本のYouTuber(ユーチューバー)、YouTubeチャンネル。演歌歌手。やってみた動画などを投稿。

歴史[編集]

  • 1964年には家族とともに上京して古賀事務所に所属し、古賀作曲の『ウソツキ鴎』でデビュー。
  • 1966年7月30日から1968年1月27日まで日本テレビ『九ちゃん!』に『チビッコトリオ』としてレギュラー出演。
  • 1968年にはNETで放映された青春ドラマ『青い太陽』に主演、背泳ぎでオリンピック出場を目指す女学生を演じ、同作の主題歌(エンディング曲)と挿入歌も歌唱。
  • 1979年に『おもいで酒』が有線放送から徐々に知名度が上がり、200万枚の大ヒット。この年の暮れ『第30回NHK紅白歌合戦』に出場し、紅白初出場を果たす。『全日本有線放送大賞』グランプリ、『第21回日本レコード大賞』の最優秀歌唱賞を受賞。
  • 1980年にはシングル『とまり木』も大ヒットした。その後も『ふたりはひとり』、『もしかしてPartII』、『雪椿』などの大ヒット作に恵まれ、紅白への連続出場も果たす。
  • 1983年5月にはロサンゼルス、ブラジルなどで初めての海外公演を行い、新宿コマ劇場で初の単独座長公演を行った。
  • 1987年には、第一プロダクションから違約金2億円で独立、個人事務所の幸子プロモーションを設立する。
  • 1988年、紅白に10回連続出場。自身初となる紅組トリを務める。
  • 1993年、歌手生活30周年を迎えNHKホールにて記念リサイタルを行う。同年12月、紅白に15回連続出場を果たす。
  • 1997年、第9回日本ジュエリーベストドレッサー賞受賞。
  • 1998年、芸能生活35周年を迎える。ジャズの殿堂ブルーノート東京にて、演歌歌手としては初のライブ「35th ANNIVERSARY Boogie&Blues」を開催。『劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲』のエンディングテーマソング『風といっしょに』を担当。そして、20年連続出場となった同年の『第49回NHK紅白歌合戦』にて同曲を披露した。
  • 1999年、覆面歌手『Satchomo(サッチョモ)』としてアイフルのCMソング『お地蔵サンバ』を発売。
  • 2000年、日本レコード大賞 美空ひばりメモリアル選奨受賞。
  • 2001年、博多座で女性歌手初の座長公演を行う。『夢の涯て〜子午線の夢』で、日本レコード大賞編曲賞受賞。
  • 2003年、芸能生活40周年を迎える。親友の美川憲一とともに、京楽産業のCR「華王」のキャラクターを務める。新潟県加茂市に「雪椿」の歌碑が建立。藤田まさと賞大賞受賞。紅白に25回連続出場を果たす。
  • 2004年、第55回NHK紅白歌合戦で自身2度目の紅組トリ、初の大トリを務める。
  • 2005年、新潟市、長岡市より特別感謝状を授与。日本レコード大賞特別表彰。
  • 2006年、第27回松尾芸能賞大賞受賞。国土交通大臣より感謝状を授与。紺綬褒章を受章。名古屋・御園座にて初座長公演。
  • 2007年、長岡市に『越後絶唱』の歌碑が建立。新潟市より、「新潟市観光大使」に任命。
  • 2008年、芸能生活45周年を迎え、全国3劇場で座長公演を行う(御園座、博多座、明治座初座長)。文化庁芸術祭の大衆芸能部門で優秀賞を受賞。『第59回紅白歌合戦』で45周年記念曲『楼蘭』を熱唱、紅白に30回連続出場を果たす。
  • 2009年1月1日、国立競技場にて開催された、第88回天皇杯全日本サッカー選手権大会の開会式で国歌君が代を歌唱した。伊東四朗・熱海五郎一座合同公演「日本映画頂上決戦」にゲスト出演、劇中には大婦人と呼ばれる小林幸子の顔をした高さ7メートルの大人形が登場、大婦人は公演終了後、新潟市のNEXT21に展示されている。『第60回NHK紅白歌合戦』に紅組歌手初の31回連続出場を果たす。
  • 2010年1月16日と翌17日には、台北市の台北国際会議中心でコンサートを行い、1993年と2006年のNHK紅白歌合戦で披露された衣装を台湾の観客に披露した。その後台湾政府交通部観光局から「台湾観光親善大使」に任命されている。
  • 2011年4月7日には、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)で被災して避難所生活を送る被災者を激励するために福島県相馬市を慰問。5月27日にも以前から交流があった大槌町の避難所を慰問。
  • 2011年11月15日、再生医療などを手掛ける株式会社TESホールディングス代表取締役社長の林明男と電撃結婚。 2011年11月20日には東日本大震災で甚大な被害を受けた岩手・陸前高田市と宮城・気仙沼市を慰問して2004年に中越地震で被災した故郷、新潟・長岡市 山古志地区(被災当時:山古志村)に所有する田んぼ「幸子田」で10月に収穫した新米「幸子の復興米」2トンを所有する大型トラックに積んで贈呈した。
  • 2012年5月1日、日本財団主催の「被災地で活動した芸能人ベストサポート」 で表彰される。
  • 2012年4月、小林は長年のビジネスパートナーであった幸子プロモーションの女性社長と専務を解雇した。この件で新曲『絆坂』は発売が無期限延期となった。
  • 2012年8月20日、レコード会社・日本コロムビアと契約解除に合意。10月予定で当初小林自身の作詞・作曲による新曲をインディーズから発売することを考えていたが、10月17日に来年のデビュー50周年記念曲としてさだまさしに製作依頼していた『茨の木』を新曲として急遽発売した。先行配信日の9月27日には都内で新曲発表と新レーベル『Sachiko Premium Records(サチコプレミアレコード)』発足を発表。34年ぶりに各地をキャンペーン廻りするなどして、2012年末までに自主製作では異例の2万枚を売り上げている。
  • 2013年2月24日には台湾で開催される伝統行事「台湾ランタンフェスティバル 2013」の開幕式典に、国賓級の待遇で日本人歌手としては初めて招かれた。また2月22日、23日には2回目となる台湾コンサートを開催した。6月5日、前作『茨の木』に続き、さだのプロデュースで50周年記念曲『蛍前線』を、デビュー記念日の6月5日に発売した。 6月13日より、神奈川県横須賀市文化会館を皮切りにデビュー50周年記念コンサートツアーを開催した。
  • 2014年8月17日、個人サークル「5884組」として第86回コミックマーケットに参加した。小林自らブースに立ってミニアルバムCD「さちさちにしてあげる♪」を頒布し、約2時間40分で用意していた限定1500枚のCDが完売した。
  • 2016年、3月25日に催されたTBSラジオ『大沢悠里のゆうゆうワイド』放送終了に伴う聴取者への感謝コンサートに出演。
  • 10月19日には、発売当初にプロモーションを務めたポケモンカードの20周年記念イベントに出演し、特別ライブが実施された。 また、Mサチコexというプロモーションカードが制作され、イベント参加者に配布された。
  • 2017年、第1回ももいろ歌合戦に出場し、かつての紅白歌合戦と同様の豪華衣装で歌唱。
  • 2019年9月24日に失明の危機で右目の網膜剥離の緊急手術を受けていたことを10月10日に長岡市の山古志地域にある「小林幸子田」で行った稲穂の脱穀作業に中川翔子と一緒に訪れて、白い眼帯を付けて会見に応じている。
  • 2020年8月には松岡充とユニット「シロクマ」を結成して松岡が「しろくろましろ」を作詞作曲プロデュース。12月17日、東京都内で「文化庁長官表彰 授賞式」に出席。「長年にわたり、歌手として活躍するとともに、音楽文化の普及に努め、芸術文化の振興に多大な貢献をした」として評価が認められ受賞した。
  • 2021年6月5日 東京オリンピック聖火リレーの新潟県PRランナーとして同県新潟市の最終ランナーとして走行。

余談[編集]

  • 漫画家の小林まこととは親戚である。
  • 泉ピン子や夏木マリは美川憲一と同じく、一緒にキャバレー廻りの営業をして互いの低迷時の苦労を知りつくしている親友であり、同期の水前寺清子に都はるみ、五木ひろし、後輩の小柳ルミ子、浅野ゆう子、グッチ裕三、コロッケ、真琴つばさや牧村三枝子なども大の仲良しの間柄でもある。
  1. 2024年1月