友田恭助

友田恭助
ともだ きょうすけ
ファイル:友田恭助.jpg
本名 伴田五郎(ばんだ ごろう)
誕生日 1899年10月30日
死亡日 1937年10月6日
死亡年齢 37歳
出身地 東京
国籍 日本
家族 妻・田村秋子
職業 新劇俳優
活動期間 1924年 - 1937年
代表的な実績 築地小劇場創立同人/築地座の旗揚げ


概要[編集]

友田恭助(ともだ きょうすけ、1899年10月30日 - 1937年10月6日)は、大正・昭和初期の新劇俳優。本名は伴田五郎。築地小劇場の創立同人の一人であり、妻の女優田村秋子とともに劇団「築地座」を旗揚げした、日本の新劇黎明期を支えた名優である。 岸田國士らと文学座の創立に加わった矢先に召集を受け、戦地に散ったという悲劇の人としても知られる。その死を惜しんだ岸田國士は追悼文を書き残しているらしい。

築地小劇場の創立同人[編集]

1924年(大正13年)、小山内薫土方与志・和田精・汐見洋・浅利鶴雄らとともに築地小劇場の創立同人として参加。『海戦』『狼』『夜の宿』『愛慾』などに出演し、知的で都会的な持ち味で頭角を現した。1925年(大正14年)には女優の田村秋子と結婚し、おしどり夫婦としても知られた。

築地座の旗揚げ[編集]

1929年(昭和4年)に小山内薫が急逝し、築地小劇場が分裂すると、友田は劇団新東京の創立を経て、1932年(昭和7年)に妻・秋子とともに築地座を旗揚げした。築地座は質の高い翻訳劇・創作劇を上演し、岸田國士の戯曲を世に送り出す拠点ともなった。

文学座の創立と戦死[編集]

1937年(昭和12年)9月、友田は岸田國士久保田万太郎獅子文六(岩田豊雄)・妻の田村秋子らとともに文学座の創立に参加する。ところが結成発表のころ、友田には召集令状が届いていた。文学座結成発表会は、そのまま友田を戦地へ送る歓送会となってしまったという。同月20日に赤羽工兵隊へ入隊し、10月6日、上海郊外の呉淞(ウースン)で戦没した。38歳の若さだった。

余談[編集]

  • 夫の戦死後、田村秋子は「友田の遺骨が戻るまで舞台に立たない」として文学座の旗揚げ公演への出演を固辞したと伝わる。夫婦の絆の深さを物語る逸話である。
  • 岸田國士は「上海で戦死した友田恭助君」などの追悼文を残しており、友田の人柄と才能を惜しんでいる。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]