| 前田夕暮 まえだ ゆうぐれ | |
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| ファイル:前田夕暮.jpg | |
| 本名 | 前田洋造 |
| 誕生日 | 1883年7月27日 |
| 死亡日 | 1951年4月20日 |
| 死亡年齢 | 67歳 |
| 出身地 | 神奈川県南秦野村(秦野市) |
| 国籍 | 日本 |
| 職業 | 歌人 |
| 肩書 | 白日社主宰/歌誌『詩歌』主宰 |
| 活動期間 | 1900年代 - 1951年 |
| 代表的な実績 | 自然主義短歌/歌集『収穫』/口語自由律短歌 |
| 別名 | 夕暮 |
概要[編集]
前田夕暮(まえだ ゆうぐれ、1883-1951)は、若山牧水と並んで自然主義短歌を代表した歌人。二人が活躍した時代は「夕暮・牧水時代」と呼ばれ、明治末の歌壇を二分した。
牧水が生涯ほぼ一貫した作風だったのに対し、夕暮は作風をどんどん変えていく「変身する歌人」だった。自然主義から印象派絵画ふうの外光派、さらに昭和には口語自由律へと、つねに新しい表現を追い求めた挑戦者である。
尾上柴舟への入門[編集]
神奈川・秦野に生まれる。上京して尾上柴舟に師事し、ほぼ同時期に入門した若山牧水と生涯の友となった。二人はライバルでありながら、自然主義短歌の旗手として並び立っていく。
『収穫』と夕暮・牧水時代[編集]
1910年の歌集『収穫』で、夕暮は自然主義歌人として一躍注目を集めた。同年には牧水の『別離』も出ており、「夕暮・牧水時代」という呼び名が生まれる。技巧よりも生のままの感情と自然をうたう作風が、当時の文壇の自然主義の潮流とよく響き合った。
白日社と『詩歌』[編集]
夕暮は結社白日社を組織し、歌誌『詩歌』を創刊して多くの歌人を世に送り出した。この『詩歌』には、のちに詩人として大成する萩原朔太郎や室生犀星も初期に作品を寄せており、短歌から近代詩への橋渡しの場のひとつにもなった。
外光派から口語自由律へ[編集]
大正期にはゴッホやゴーギャンら印象派・後期印象派の絵画に刺激を受け、色彩感あふれる外光派風の作風に転じる。さらに昭和初期には定型を離れた口語自由律短歌を牽引し、「自然がずんずん体のなかを通過する——山、山、山」のような、口語による自由なリズムの歌を試みた。後の口語短歌の基礎を築いた功績は大きい。晩年は再び定型に回帰している。
余談[編集]
- 故郷・秦野をこよなく愛し、その風景を多く詠んだ。秦野市では今も「ふるさとの歌人」として顕彰されている。
- 自然主義 → 外光派 → 口語自由律 → 定型回帰と、生涯で何度も作風を脱皮した点は、近代歌人のなかでも際立っている。